▼10年計画の巨大プロジェクト
韓国統一省の将来を見すえた事業のひとつが、現代俄山社(ヒュンダイアサン)が中心になって、ソウルの北方80キロにある北朝鮮領内の開城(ケソン)市に産業コンプレックスを整備する巨大事業だ。
開城市は板門店から軍事国境線を北上し、38度線の手前に位置する高麗王朝の古都である。朝鮮戦争で米軍が死守しようとしたが、結局、北側に属することになってしまった都市である。現在の人口は約35万人。北から南下してきた避難民が足止めを食い、最大数の離散家族を生んだ都市で、市民の7割が離散家族だという。
その開城市の東部の原野を開拓し、10年計画で従業員40万人を越える産業コンプレックスを作ろうというのが「太陽政策」の柱だ。東海岸の北朝鮮領金剛山と違って、こちらの方は一般の人が訪問するのは難しい。すでにパイロット・プロジェクトは完成しており、現在、北朝鮮労働者12000人、中国籍朝鮮人労働者12000人が勤務し、アパレル製品や手工芸品を生産している。
北朝鮮領内なのに、給料はどうなっているのか、それで食べてゆくことができるのか、政府や企業はどれだけ搾取するのかなど、記者団にとって興味津々なことばかりだった。
私たちが訪ねたのは、その広大な造成地区のごく一部、敷地全体の1%程度のところに建てられた20社ほどの工場群である。広大なコンプレックスの敷地は、造成中であり、あちこちに巨大な重機が入っている。これらの土木作業をしているのは韓国人男性労働者。連日700人ほどが泊り込んで、土ぼこりの中での作業を継続している。
最初に案内されたのが、800人の労働者が働いているというアパレル企業である。現代俄山社の担当者から「従業員には決して声をかけないように。もし声を掛けた場合は、見学を中止します」というきついお達しを受けた。
といっても、朝鮮語ができる人はほとんどいないので、声のかけようがないのであるが。私たちは1000平方メートルほどある生産ライン現場に案内された。20代から40代の女性200人ほどが、一台ずつのミシンに向かって縫製作業をしている。別な部署では、巨大な裁断作業台や、アイロン台の前で、黙々と女性たちが働いている。
工場内は極めて清潔で、労働者も清潔なユニフォームを着ている。そこに、140名の外国人の記者団が、どどっと押しかけたのであるから、彼女たちにも緊張感が走っているのがわかる。全員が「外国からのお客様が来るからしっかり作業するように」といわれたのだろうか、一切の私語もせずに、真面目に作業をし続けている。私たちと目を合わせようともしない。
そこを私たち全員が、バシバシと写真を撮る。私たちは朝鮮語が出来ないので、無言のまま写真を撮る。異常な光景である。
さらに私たちは、2階、3階と案内され、別な生産ラインや、北側従業員がパソコンで会計管理をしている部屋、従業員休憩室などを見学した。
私は、トイレに行くふりをして、最初に見学した大きなミシン工場に降りていった。やはり、思ったとおりだ。外国人見学者がいなくなったあとの彼女たちは、お互いに冗談を飛ばしあいながら、私たちが見学していたときとは打って変わって、リラックスして作業をしていた。彼女たちはロボットではない、同じ人間なのだ。
興味深かったのは従業員休憩室である。小さな休憩室はあちこちにあるのだが、コンプレックス内のどの会社の従業員も利用できる独立した休憩室(ヒュゲシル)という建物に案内された。すると中は、礼拝堂になっているのである。真ん中に祭壇があって十字架がはめ込まれている。
北朝鮮の共産主義のもとでも、人々のよりどころがキリスト教になっていたことを知って、考えさせられた。共産主義は人の心を支配することは出来ないのだ。
しかし、ここは北朝鮮。従業員の賃金は「開城経済コンプレックス労働法」に基づいて支払われている。現代俄山社の担当者が、従業員の給料は残業を入れて月あたり60ドル弱。給料の一部は各社が預かって現物に変えて支給している。との説明をした。
▼経済支援か、北の労働者の新手の搾取か?
しかし記者団は納得出来ない。「国際基準から考えても極端に安い給料ではないか。現代俄山は北の人々に就労の機会を与えているのではなく、北朝鮮が賃金を安いことにつけこんで、搾取をしているのではないか」などの質問が次々に発せられた。
担当者は、「私たちとしてももっと支払いたいのですが、北側政府が決定した賃金であり、当然北全体のバランスを考慮しなくてはなりません。しかしここの工場で働いている人々は、皆、喜んでいます」喜んでいるといわれても、従業員に話し掛けていけないのだから、どんな風に喜んでいるのか、われわれは把握しようがない。
各工場の裏手の自転車置き場には、従業員たちの自転車が並んでいる。どの自転車にもナンバープレートがついている。ここ北朝鮮では、自転車は登録制度なのである。
その自転車で、開城市の自宅からここまで、約30分の道のりを通ってくるのである。
平壌政府の思惑と、韓国統一省の思惑、さらに開発を任せられている現代俄山社の思惑が合致したところで、建設されているのがこの開城経済コンプレックスなのであろうが、ここは新聞でよく報道される幻の経済特区ではなく、まさに北と南が真剣勝負に出ている経済特区であるということだけは、この目ではっきりと確認できた。
開城経済コンプレックスを見学せずに、北朝鮮の問題について語ってはいけないということを、心の底から実感できる場所でもある。
北と南は、ソウルからここ開城と平壌を経由して、さらにモスクワ、パリ、ロンドンに至る鉄道を開通させる計画を持っている。ソウルと平壌の鉄道はすでに開通しているので、政治的問題が解決すればいつでも運行可能なのである。
太陽政策というのは、単なるイデオロギーではない。統一が実現した場合に、南側はかなりの経済負担に耐えなければならない。それに耐えられるようなソフトランディングを目指すための産業開発が、開城経済コンプレックスという具体的な事業として進行しているのである。
こう見てくると、南も北も、将来必ず統一するという合意に向かって、さまざまな手立てを整えていることがわかる。韓国人が求めるのは突然の性急な統一ではない。あらゆる立場の韓国人が口をそろえて「統一には時間が必要だ」と語るのは、そうした意味である。
最近になって北朝鮮がこの経済コンプレックスへの韓国人の出入りを制限するなどの揺さぶりをかけているが、開発の巨大さを目の当たりにすれば、北朝鮮特有の「ゴネ徳」路線で、新政権からのお土産を期待していると考えればほぼ正解であろう。北にとっては決して手放せないのがこの開城経済コンプレックスなのである。
李明博政権によって北と統一が遠のくと考える人もいるようだが、韓国の人々でそう考える人はほとんどいないであろう。韓国全体が「統一」に向けた作業をこれからも継続することは、こうして現地を確認することで得心できる。つまり机上のプランではなく、すでに膨大な金額を投資した基盤作りが開始されているのである。体制の違う分断国家の統一には、長い時間をかけた基盤作りが必要だということを、彼らは良く理解している。
拉致問題の解決の道筋を見つけるためには、まず、こうした南北の融和の動きの中から交流のカードを探し出す必要がある。日本の政府関係者に心して欲しいのは、「カードなしでは拉致問題は解決しない」ということを肝に命ずることである。
さて開城経済コンプレックスを最初に訪問する日本の国会議員は、誰だろうか?
了 (c)菅原 秀 2008