2008年05月25日

ビルマ軍事政権にこれ以上騙されるな(1)

▼サイクロンの被害を受けた国民100万人を何もせずに放置し、そのどさくさを利用して憲法策定の投票作業を強行したビルマ軍事政権。国際社会は怒りを持ってこの非道な政権に対峙し、彼らに支配された国民を一国でも早く解放しなければならない。▼ビルマの軍事政権をつけあがらせてきた国が中国であるが、今回の四川地震ではおおむね国民を守ろうとする姿勢を維持しているようだ。この機会にぜひ反省してもらい、ビルマへの支援政策を見直すように働きかけていかなければならない。▼中国ほど知られていないものの、日本もビルマ軍事政権を甘やかしてきた国の一つである。軍事政権がこれから強行しようとする「でっちあげ国民投票政策」を容認すれば、いつまで経ってもビルマの人々に平和と自由は訪れない。日本がどうなってビルマを甘やかしてきたかを2回にわたって報告する。(08年5月25日 菅原 秀)



◆軍事政権を国家承認してしまった日本の失政


 ビルマ軍事政権は、国家平和開発評議会(SPDC)という任意団体である。この任意団体は88年の発足当時は国家秩序回復評議会(SLORC)という仰々しい名前をつけて「国家の秩序を維持するために国を統治する」と宣言した。権力掌握と共に「秩序維持と平和の回復」「交通インフラの確保」「経済活動の保証」「複数政党制への民主化実現」を約束した布告1号を発表した。

しかしどの約束も、いいかげんな朝令暮改でごまかしてきたことから、信用を回復するために人気のないSLORCという呼び名を廃止して、SPDCとして再デビューした。しかしデビュー後も、軍備拡張以外には何の仕事をしようともせず、20年間に渡って権力の座に居座ってきた。

 この任意団体SPDCが軍事組織を保有しているのだから、始末に終えない。 

 07年9月のヤンゴンのデモで長井健司さんを殺害し、さらに08年5月のサイクロンでは自国民被害者100万人に救いの手を述べることなく放置し続けた。

 ビルマ軍事政権の信用を国際的に失墜させただけでなく、その軍事政権を甘やかし続けてきた日本政府の信用も問われなければならない、重大問題なのである。

 さて、この私の文章を見て、
「なんでビルマと書くのだろう。あの国はだいぶ前にミャンマーと国名を変更したのではないか」
と思われる人が多いかと思う。実は日本と違って他の国々には、この国の呼称変更を認めない人が多く、特に世界のジャーナリストの大部分は未だにビルマと呼称しているのである。

 まずそのことから説明しないと、話がわかりにくくなる。ビルマの人権問題と深く関わっているからだ。
 1989年6月、ビルマ軍事政権は国連に対して、英語での呼称の変更を届けた。それまでのユニオン・オブ・バーマを、ユニオン・オブ・ミャンマーとしたのである。国連のルールでは議席を持っているその国の政権が国名変更を届ければ、自動的に受理しなければならない。したがって国連での国名変更は自動的に行なわれた。

 しかしこの変更に対して、アメリカ、ヨーロッパ各国、北欧各国などが強く反発した。1990年の総選挙でアウンサンスーチー率いるNLDが圧勝したにもかかわらず、政権を委譲せず、そのまま居座っている軍事政権が、国民の信を問うことなく勝手に国名変更することは容認できないと考えたのである。(アウンサンスーチーの日本語表記は、新聞ではアウン・サン・スー・チーだか、本人はビルマの人名表記原則を尊重してアウンサンスーチーにして欲しいと言っている)

 さて変更の理由は何か。
 事情に詳しい田辺寿夫氏は、次のように解説している。

「ビルマ語による国名は、ピダウンズ(連邦)・ミャンマー・ナインガン(国)のまま変わっていない。国名の変更にあたって軍事政権の担当者は、英語のバーマのもとになったバマーがビルマ族をさし、ほかの多くの民族が共住する連邦国家としては、そのすべてを包含するミャンマーという呼称のほうが寄りふさわしいと説明した。しかし、この説明が正確でないことを、内外の多くの識者が指摘している。バマーとミャンマーはもともと同じ語源の言葉で、おもにビルマ族とその国土を指すことは明らかであるからだ。バマーは交互としてよく使われ、ミャンマーはもともとビルマ語の国称として使われているように文語的な表現である。人々はこれまで、この二つを同じ意味の言葉として、とくに意識せずにごくふつうに使ってきた」『ビルマ 発展のなかの人びと』田辺寿夫著 岩波新書

 現軍事政権を認めていない英語圏ではこの国を今でもBurma,北欧諸国はBirmaと呼び、各国のマスコミもそれに習っている。(ビルマという日本語の呼び方は北欧形なので、江戸時代にオランダから伝わったと思われる)

 にもかかわらず日本政府とマスコミは、軍事政権の提案をいとも簡単に受け入れている。

 まず89年に7月から外務省と内閣法制局が今までのビルマ呼称をやめてミャンマーとすることを決定。それを受けた日本新聞協会は「現地の呼び方を尊重する」という理由で、89年8月からミャンマーという表記に切り替えている。

 前提となったのが、89年1月の閣議決定である。88年9月にビルマ軍はヤンゴンのデモを軍事力で制圧、数千人を殺害しビルマ連邦の全権を掌握した。軍は戒厳令をしくと同時に、国家秩序回復評議会という暫定国家管理組織をつくり、治安を押さえ込み、総選挙を行なうと明言した。日本政府はこのグループが治安を回復したことを評価し、閣議決定としてこの国の国家承認をしてしまったのである。


◆マスコミはビルマ表記に切り替え直すべきだ

 90年6月、約束どおり総選挙は実施され、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が485議席のうち392議席を獲得した。軍事政権支持政党である民族統一党(UNP)はわずか10議席というありさまであった。しかし、その結果は反故にされ、逆に当選したNLDの国会議員たちを全員逮捕して、軍事政権をそのまま維持したことは周知のとおりである。

 日本政府は、ここで国家承認を取り消せばよかったのだが、ODAを一時凍結しただけで様子見をすることにした。この時点で本質を見誤ったのである。

 ここから日本政府と国際社会とのボタンのかけ違いが始まることになる。
 そうした経緯の結果、見事なほどすっきりと国名呼称がミャンマーに切り替わったのが日本だ。ビルマ軍事政権の対日心理工作はみごとに成功したのである。

 しかし英語圏からのニュースであるCNNやBBCなどの国際ニュースを聞いていただきたい。どのニュースのアナウンサーも、あいかわらずBurmaと呼称していることに気づくはずだ。

それに対して、ビルマ軍事政権を支持する国であるロシア、中国、シンガポール、北朝鮮などから発信される英語放送を聞いていただきたい。これらの国の放送局では必ずMyanmarと呼称している。

 また両者を混合している国もある。タイ、バングラデシュ、マレーシア、それに加えてASEAN諸国の、ビルマと深い利害関係を持つ国々である。これらの国々は好むと好まざるに関わらずビルマとの接触を続けなければならない運命にあり、全体的にコンストラクティブ・エンゲージメント(建設的関与)という外交手段を採っている。これらの国々では、政府系メディアはミャンマー、反政府系メディアはビルマという形で報道し、それぞれの番組や記事の中では、ばらばらにふたつの呼称が併用されている状態である。

 つまりビルマ軍政を支持する人々はミャンマー、軍政の居座りを許容しない人々はビルマという風に、全世界の世論を二分し、呼称自体が政治的なものになってしまったのである。

 日本では、在日ビルマ人による民主化団体と、日本人の支援団体がこの国の民意抜きの呼称変更を認めずに、ビルマと呼んでいる。テレビや新聞などのマスコミは別段ビルマ軍事政権を支持しているわけでもないのに、一律にミャンマーと呼んでいることから、大部分の日本人がマスコミの報道を受け売りしてミャンマーと呼ぶようになった珍しい国が日本だ。

 私は、選挙結果を無視し、国会の機能を17年間も停止し続けたまま権力にしがみついているこの軍事政権を許容するわけにはいかないので、ビルマと書き続けている。ジャーナリズムには、表現の自由を守る使命がある。表現の自由を完全に否定している政権が勝手な国名変更をしたことを許すのはジャーナリストの職業倫理と矛盾しているからだ。さらに国際ジャーナリスト連盟(IFJ、会員数1億5千万人)を始めとするジャーナリスト団体のほとんどが、言論の自由を否定するこの政権に抗議する立場でBurmaの表記を採用しており、国際的なジャーナリズムの連携をはかるうえでも、Myanmarという「踏絵的」な表記は不適切であるからだ。

 こうした説明をすると、多くのジャーナリストが賛意を示してくれる。しかし、いったん呼称を切り替えてしまった日本のマスコミにも面子がある。ビルマ学者の投稿などにビルマ(ミャンマー)と記載してお茶を濁している程度が精一杯のようだ。ここで各メディアの記者は勇気を持ってビルマ表記を社内に通用させるようにして欲しい。 

 長井さんの死を無駄にしないためにも、せめての抵抗の意味で堂々とビルマと書き直していただきたいのである。言論を弾圧した軍事政権が民意に基づいた手続きをおこなわずに変更した国名を垂れ流すのは、言論の自由を守るジャーナリストという立場に相反するのだということを熟慮していただきたい。

さて89年の流血の弾圧の直後に国家承認をして、ビルマ軍事政権を甘やかし続けてきた日本だが、その後現地に派遣された歴代の大使たちも、民主化勢力に対する弾圧に対して毅然とした態度を採っていないのが目立つのが日本の外交だ。
特に93年から大使を務めた田島高志氏と、95年から大使を務めた山口洋一氏は、一貫して軍事政権の側を支持し、軍事政権と外務省の蜜月時代を築いてきた。その悪影響は今でも続いている。


◆ビルマとの蜜月時代を演出した大使たち

山口氏が大使になった頃、私はオスロに本部のあるNGOワールドビュー・ライツの職員としてビルマ民主化支援活動を開始した。
さっそくビルマを担当する外務省南東アジア1課を訪問し、今後の活動への協力を要請した。そのとき応対したM課長は、私に対して次のように語った。

「日本ではミャンマー国民の大多数がスーチーのNLDを支持していると報道されていますが、それは90年の選挙のときだけの一時的な現象です。今では彼女を支持する人はビルマ全体で500人程度しかいません。軍事政権がまじめに国を運営しているのにもかかわらず、NLDは欧米から資金を得て、嘘の情報を流し続けています。決してNLDや亡命政権であるNCGUB(ビルマ連邦国民連合政府)などの情報に振り回されないようにお願いします」

 私は開いた口がふさがらなかった。
500人という不思議な数字にまず驚いた。当時日本に在留していたビルマ人の数だけでも一万人がいた。大部分はノンポリであるものの、大使館の職員やその家族を除いては、軍事政権の支持を表明する者はいなかった。つまり日本にいるビルマ人の少なくても9割以上はNLDを支持していたのである。90年選挙のときのパーセンテージは日本に来ても同じだった。M課長は、日本だけでもNLDを支持する9千人以上のビルマ人がいるのに、ビルマ本国に500人しか支持者がいないと言ったのだ。

 しかし、それが山口洋一氏の受け売りであることがあとからわかった。山口氏があちこちで「スーチーは欧米から資金を得て政府を苦しめる策略をしているが、彼女の支持者は全体で500人程度しかいない」と話しているのを知ったからだ。

 田島氏と山口氏は、ビルマへの最大の援助国として常に国賓待遇で扱われており、彼らの著書の中で軍事政権から数々の便宜供与を受けていたことを自慢している。

 ゴルフ接待から始まり、地方視察の際の特別機や特別列車の提供など、自分たちの家族も含めて王侯貴族のような扱いを受けていた。国際公務員がこうした便宜供与を受けることには倫理上おかしいと思うので、国際法の専門家が私宛にご意見を寄せていただければありがたい。

 さて山口大使の時代に、ある出来事が持ち上がった。自衛隊や外務省などの日本政府職員7人が、ビルマとタイの国境の難民キャンプを視察し、食糧事情や水道事情を調査したのである。難民キャンプの住民を支援しているビルマ国境コンソーシアム(BBC)という国際NGOからの要請による草の根無償支援の実態調査のためだった。調査団はその結果を本庁に報告し、700万円の食糧支援を行なうことが決定された。

 しかしその決定は実行されず宙に浮いたままだった。情報をキャッチしたフォトジャーナリストの山本宗補氏が外務省に問い合わせたところ、「ビルマ軍事政権からカレン民族同盟(KNU)の武器に流用される恐れがあるので、支援しないようにと言われ棚上げになっている」という話だった。

 真相はこうだった。バンコクの日本大使館の職員がこの草の根支援の計画を聞きつけて、日頃親しく付き合っているバンコクのビルマ大使館の職員に電話をした結果、ビルマ側が支援をしないように強く要請したのである。

 大量の難民を生み出した抑圧側政権に電話をすれば、こうした答えが来るのは当然であり、外交官の責任を大幅に逸脱した背信行為である。この対応に対して市民団体が強い抗議をした結果、宙に浮いていた支援はBBCに届けられた。

 そのBBCの本部を訪ねた私は、翌年も草の根資金援助の申請をするのかと尋ねた。責任者はこう答えた。

「もうこりごりです。突然日本大使館に呼び出され、授与式で日本の大使とタイ外務大臣に対する感謝の言葉を述べよと言われたのです。私たちはさまざまな国からの支援を受けていますが、官僚に対するお礼を強要されたのは初めてです。私たちの活動が外交上の取引に利用されていることを知って、正直がっかりです」

 さて山口元ビルマ大使は、長井さんが殺害された事件の直後から不思議な行動を開始している。雑誌、テレビ、あげくの果てには外国人記者クラブにも登場して、ビルマ軍事政権擁護の発言をし続けているのである。

 その論理があまりにも変わっているのでマスコミは飛びついた。「軍事政権が一般市民、ましてや外国人ジャーナリストに発砲することはありえない」「スーチーは市民に金を渡してデモに参加させた」「スーチーは96年に自動車での移動中市民から、外国人女は出て行けと言われた。こわくなったので警察に泣きついてその後、軟禁という形で保護してもらっている」「スーチーは英国に操られ、ビルマを混乱に陥れようと策動している」などの独特の論理をまくし立てたのだ。


続く                 (c)菅原 秀 2008
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2005年02月12日

アジアの言語と報道(2)

▼名前を呼ぶ風習も大違い

また、中国人の場合、姓と名前がワンセットになっている。日本のような家族制度がないので、「王さんが」とか「黄は語った」などの表現は、名前の特定度が稀薄になってしまう。
各社の中国在留特派員は、中国人の名前を姓名で打電してくる。「周氏が……」などという風に直すのは外信部のデスクか整理部の記者である。現場を見ていない人間はもっと現場を尊重すべきである。

つまり周恩来の両親は、息子に向かって「チョウ・エンライ!ライ.バ」(周恩来!こっちに来なさい)と呼んでいるのだ。家族ですら名前を単独で呼ぶ風習はあまりない点に注目していただきたい。

名前だけ呼ばれるのは幼児の場合や、兄弟同士、あるいは恋人同士などで、親がちゃんと子を呼ぶ場合は、姓名一緒である。
文化大革命の時代も毛沢東(マオ・ツォトン)同志と呼ぶことがあっても、毛同志と呼ぶことはなかった。これは中国文化理解の上で注意すべき要素である。
日本式に言えば、中国は夫婦別姓である。つまり姓と名の組み合わせが個人を特定するのである。大事なことは姓の概念は、日本の氏(うじ)制度とはまったく異なった物だということである。

世界各国の氏名制度のほとんどは「父○○の子供」、「母○○の子供」と言う組み合わせが多い。そこで、ミドルネームという表記が生まれたりする。
中国が氏名をワンセットとしてとらえるのに対し、モンゴルなどは、氏のほうは単に父の名前を意味する記号であり、本人を特定して呼ぶ場合は下の名前だけとなっている。またビルマなどは、前述したように姓の概念がなく、ひとりひとりの個人が占星術に基づいた独立した名前を持つという変わったシステムになっている。
結婚して相手の氏に入るシステムを持っているのは、日本だけだと考えたほうが、間違いを犯さないで済むようだ。

さらに蛇足ながら、戸籍制度は日本にしかない。朝鮮にもあると主張する人もいるが、日本が侵略した時に創氏改名政策が失敗したという史実ひとつを検討しただけで、そういう考え方はナンセンスであることが証明できるであろう。
日本人なのだから「しゅう・おんらい」でいいのではないか?という意見は多いようだ。しかし、この方法を採用する限り、日本語以外の言語に移しかえる時にまったく対応でき
なくなってしまうのである。あ<までも、国際情報にすばやく対応するためには、「アジアの言語と報道1」で述べたように、トーマス・ウェード式に憤れておいたほうが便利なのである。

在日している中国人民主活動家、趨南(ツァオ・ナン)さんが、東京地裁で日本への亡命を否定された時のことだ。

外国人特派員協会での記者会見の英語の通訳は、趨南さんの中国語を日本語に通訳し、さらに別の人が英語にするという二重通訳だったのでZhao Nanという彼の中国名を知らずに、チョーナンと発音した。英語のわからない当人の趨南さんはそれをチェックできなかった。
その結果、一部の日本人記者の手による英語紙にChou Nanと表記された。
英語のわかる中国人がこの記事を読んでも、誰のことを指しているか判断できない。Zhao Nanと書けば、「ああ『北京の春』事件に関連した民主活動家だな」とすぐに連想されるはずであるのだが。

たとえめんどうであっても、マスコミがこの原則、つまり漢字・カタカナ併記を採用すれば、中国語や韓国・朝鮮語固有名詞に対する機動力が増し、対外惰報交換のときに底力を発揮できるようになるのではないか。

▼中国側が日本語表記を採用するのは不可能

「それなら中国人も日本語を、東京(トンジン)、田中(ディェンツォン)などと発音せずに、『とうきょう』『たなか』という風にすべきだ」という意見も多い。しかしそれは不可能である。

中国語はすべてを漢字で表記する言語であり、日本語のようにひらがなやカタカナがない。さらに「とうきょう」や「たなか」に対応する発音や漢字がないのである。
無理に漢字をあてはめたとしても、「ターウーチョウ」「ダーネイグー」など日本語からかなりずれた発音しかできない結果になってしまう。それでは、せっかく日本語的な発音を採用した意味がなくなってしまう。
つまり英語のvfrを正確に日本語で表記できないのと同様、日本語のか、き、け、こ、さ、せ、て、と、ぬ、の、む、め、ゆ、などに対応する発音や漢字が中国語にはないの
で、日本語への対応が難しいのだ。

例えば、はやりのカラオケも中国語では、「カーラーオウケイ」という風に発音されている。
台湾に行った時のことだ。カーラーオウケイ・クラブにいた現地の女性が、
「私は日本の歌手ではバタヤキが一番好きです」
といっていた。バタヤキなどというバンドは聞いたことがないので、漢字で書いてもらったところ八代亜紀だった。彼女のファンにとってはバタヤキと呼ばれるのは心外だろうが、中国語での彼女の漢字の名前から連想するイメージは非常に印象がいいそうである。

「やしろあき」と聞こえるように、「牙西洛阿葵」などと漢字で表記する努力をしてみたが不可能だった。
「変な名前ねえ」
と苦笑する台湾人の彼女に、八代亜紀の発音を正確に伝えるすべがない私は、一緒に苦笑するしかなかった。

中国では何種類かの外来語辞典が発行されているが、どれも統一されておらず、外国語を取り入れる際の混乱がうかがい知れる。しかし、新たな方法論が工夫されてゆくことは確実である。考えられるのはヨーロッパなどのような多重表記が常識化してゆくことだろう。
中国の地名や人名を報道するのに、今のまま漢字の日本語読みを続ければ、日本のマスコミは中国の国際化に比例して、さらに多くの困難に直面するに違いない。 了

(c)2005加筆、菅原 秀 初出「公評」1997年9月号
         
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2005年01月30日

ネパール政府がチベット人救護施設を閉鎖

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05年1月27日付の「カトマンズ・ポスト」がネパール政府が突然、ダライ・ラマ法王ネパール事務所とチベット難民救護事務所を閉鎖したと報道した。チベット難民救護事務所はチベットから逃れてくる難民を保護する機能を果たしており、事務所の閉鎖は今後、チベット難民に深刻な影響を与えることになると思われる。チベット政府は2001年の王室殺人事件での政変以来、国会の機能停止と、マオイストとの戦争による混乱が続いている。現在の政府は王室殺人事件ののちに王位についたギャネンドラによる王政独裁の形になっているが、今回のチベット人に対する新しい人権侵害措置が今後どう展開するか、予断を許さない。 
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▼予告なしの突然の閉鎖

報道によれば、ネパール政府は何の予告もなく1月21日、首都カトマンズにあるダライ・ラマ法王ネパール事務所とチベット難民救護事務所の閉鎖を命じた。「ネパール政府に閉めろと言われれば、閉めるしかありません」とチベット亡命政府ネパール代表のワンチュック・ツェリングは、カトマンズ・ポストの記者に対して述べている。

ネパールには毎年数百人以上の難民がヒマラヤを越えて流入している。ヒマラヤの山道を徒歩で逃亡してネパールにたどり着いたチベット難民は、凍傷や疲労からくる疾病に罹患していることが多く、この救護施設は1959年に開設されて以来数多くのチベット難民の救護活動をしてきた。救護されたチベット難民は主にインドのダラムサラなど、世界各地に散らばっており、ネパール国内には2万人程度の難民がいると思われる。

「カトマンズ・ポスト」のインタビューを受けたプラカシ・シャラン・マハット外務大臣は、「今回の措置は中国政府からの圧力によるものではない。ネパール政府に正式に登録しないで活動していたからだ」と回答している。

しかしこの説明はこじつけとしか言えない。チベット難民救護事務所は40年以上も前に活動を開始しており、国連高等難民弁務官事務所の協力を得ながら、各国に送り出されるチベット人難民の一時救護所として今までネパール政府から認められていた機関であったからだ。

▼人権侵害に転じた王政独裁政権

ネパール政府は2003年5月に4人の子どもを含む18人のチベット難民を中国に強制送還しており、この事件をきっかけに、チベット人難民を国連高等難民弁務官事務所にゆだねてきた今までの政策を停止しており、国際社会から強い非難が起きている。

今回の報道を受けてアメリカの人権NGO「ヒューマンライツ・ウォッチ」が28日声明を発表し、ネパール政府に対し、事務所閉鎖措置をただちに解くように要請している。

http://www.hrw.org/english/docs/2005/01/28/nepal10085.htm

「ヒューマンライツ・ウォッチ」のアジア担当のブラッド・アダムス氏はこの事務所について「迫害されている何千人ものチベット人難民に対する極めて重要な安全保護機関であり、事務所が閉鎖されれば、これらの人々にはなんら保護が与えられないことになる」と警告している。

▼混乱の元凶は現国王

現国王ギャネンドラは、ネパール国内では2001年の王室大量殺人事件の真犯人ではないかと疑われている。事件が起きた当日に唯一パーティーに参加していなかったのが、ギャネンドラであったことと、妻、息子が事件に遭遇したにもかかわらず無傷だったことなど、数々の疑惑が取りざたされている。各政党が国王の命令を無視し続ける異常事態が続いており、国会も憲法も機能していない。その結果、ギャネンドラ国王が専制政治を推し進めることになってしまい、さらに王政に全面的に反対するマオイストとの武装抗争で、国全体が戦闘状態になっている。マオイストとの武装抗争の結果、両者の戦死者は1万2千人を超えており、イラクと同様、国全体が危険な状態に直面している。

(c)2005 菅原 秀

参照URL
http://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2005/02/post_1.html
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2005年01月13日

救援の手が届かないビルマ人被災者たち

救援の手が届かないビルマ人被災者たち
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日本が2億5千万ドルの支援を表明した1月6日のジャカルタでの緊急首脳会議で、ビルマ(ミャンマー)のソーウィン首相は、ビルマ国内の死者は64人、負傷者56人、被災村落29カ村、住居喪失者3205人と発表した。

そして席上「被害は軽いので海外からの支援はいらない。他国にまわして欲しい」という「ご立派な」発言を行なった。

しかし、タイ南部のビルマ人移住労働者にはおびただしい死者が出ており、ビルマ軍事政権は海外で被災した自国民の救援は一切行なっていない。

インドネシア軍にブロックされて救援を受けられないアチェの被災者が大きな国際問題になろうとしている。

今、タイで困難に遭遇している多勢のビルマ人移住労働者についても、同様に注目されなければならない。
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▼タイにいる大量のビルマ人被災者はどうしているか

現在移民労働者としてタイ政府に登録しているビルマ人は約6万人。さらに登録せずに働いている人々は数10万人いると見積もられている。今回の津波の被害が大きかったプーケットや、木材の集積所として有名なラノン、あるいはその近隣のゴム・プランテーションなどの沿岸部は、移住労働者が数多く集まっている地域であり、ビルマ人労働者が多数被災している。

ビルマ人移動労働者を保護する活動を行なっているビルマ人権教育協会(HREIB)が集めた被害報告によれば、これらの被災地域で死亡したビルマ人は500人。少なくともまだ2500人が行方不明だという。

HREIBはタイ在住のビルマ人によるNGOで、国際食品関連産業労働組合連合会(IUF)の支援を受けて設立されている。

http://www.iuf.org/cgi-bin/dbman/db.cgi?db=default&uid=default&ID=2739&view_records=1&ww=1&en=1

▼怖くで救援が受けられない

タイ労働省の4日の発表でも、ビルマ人の死者は302人、行方不明者357人としている。この数は恐らく登録者だけをカウントしたものと思われるが、労働省はさらに津波の影響で2万人以上のビルマ人が職を失っていると報告している。

タイ政府は不法就労者も含めて被災者には一時見舞金と救援物資を与える方針であるが、不法就労が発覚することを恐れていたり、あるいは津波で身分証明書を失くしたビルマ人たちは、救援を受け取ろうとしていない。政府が準備したキャンプにも姿を見せずに、森の中に隠れて自活しようとしているビルマ人が多数おり、栄養不良や病気の危機にさらされている。

こうした混沌の中でいくつかの心配な報告がなされている。

ひとつは名古屋のビルマ民主化支援会に届いたニュースである。

それによれば、タイ政府がラノンでビルマへの帰国希望者を募ったところ、600人が集まった。タイ政府の輸送車でこれらの難民をビルマのコータウンの入国管理局に輸送したところ、「不法な脱国者たちなので、入国させるわけにはいかない」と断り、もし入国したいのならタイのメソットの対面のミャワディーの入管に出頭せよと回答したのである。

ミャワディーに入るためにはさらに北に450キロも離れた地点からとなる。
この600人に対してビルマ政府もタイ政府も輸送手段を提供していないという。その後、この600人はどうなったのだろう。
http://www.scdb.org/topics03.html

▼取り締まりでなく人道支援を

今回のビルマ人被災者に対して、タイ政府は「人道援助を優先し、不法就労者の逮捕を控えるように」と地元警察や入管当局に通達を出している。しかし、この通達はあまり徹底していないらしく、各地の入管によってビルマ人が手入れを受けているという報告が相次いでいる。

たとえばUSAトゥデイの報道によれば、タイの警察は津波の混乱に乗じて盗みや略奪をしているのはビルマ人移住労働者の可能性があるとして、隠れ住んでいるビルマ人たちの捜索活動を行なっている。
http://www.usatoday.com/news/world/2005-01-12-burmese-usat_x.htm?csp=34

本来なら、自国民の保護のために大量に職員を派遣してタイ政府の協力を得ながら、救援活動をするのがビルマ政府に課せられた任務である。しかし、この軍事政権は、「被害は少ない」として何も行なっていないのである。

(c)2005 菅原 秀




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2004年12月23日

中国に大量流入する薬物

中国に大量流入する薬物
                 
 20日に発売されたDays Japan1月号の記事です。編集部の許可を得てアジア・ジャーナルに転載します。さらに、詳しい情報を近日中にお送りします。
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▼雲南省から流入するメタンフェタミン

中国麻薬取締委員会の2004年9月の発表によれば、中国国内で確認されている麻薬常習者は105万人いるという。うち72%が35歳以下で、若年層に広がっている。とくに深刻な地域は、ビルマ、ラオス、タイの麻薬生産地帯「ゴールデントライアングル」と国境を接している雲南省である。

 中国とビルマの交易額は、この10年間で10倍程度に拡大している。欧米からの経済制裁が続いている中で、ビルマにとってもっとも頼りになるのが中国との貿易である。

 その結果、麻薬の製造法にも大きな変化が現れた。ビルマ国内の薬物生産者たちは、中国から輸入したエフェドリンを利用して、アヘンを精製し、メタンフェタミン(ヒロポン・注)を製造している。アヘン樹脂に比べて密輸をしやすく、商品価値が高いからだ。
 そのため、最近の中国への麻薬密輸は、少量を運ぶバイヤーによって行われるようになってきた。

▼ビルマの精製所の数は拡大中

 タイの国境警備当局は、2000年にはビルマ・タイ国境に55カ所のメタンフェタミン精錬所の存在を確認しているが、2004年には90カ所に増えていると報告している。

 5年前までは、ビルマ国内のアヘン生産地は、シャン州東部のワ人支配地域が中心だった。ワ人は中国語を話す少数民族で、蒋介石の国民党からアヘン生産技術を受け継いだという歴史を持つ。雲南省との間を自由に行き来するワ人たちは、強力な自衛軍事組織を持ちながら、アヘンの密輸で生きながらえてきた。

 しかし、2000年代に入って、国際社会の麻薬取締の圧力が強まり、ワ人による麻薬生産地はシャン州北部と、ラオス国内に移動している。また、カチン州やカレン州などにも新たなアヘン生産地が生まれている。

▼必要なのはビルマの民主化である

ビルマ政府と少数民族の確執はきわめて複雑であり、その影には常に麻薬の利害が見え隠れする。現在のヤンゴン航空や大型ホテルなどの原資も元はといえば、クンサーなどの麻薬王たちによる出資によるものである。
 
 ビルマ政府は、対外的には薬物撲滅に取り組んでいると公言しているが、薬物精錬所の数が倍増していることから、その取り組みは疑問視されている。

あいかわらず軍事力で国民支配をし続けているビルマが民主化しない限り、ゴールデン・トライアングルからの麻薬は一掃されない。それだけは間違いないだろう。

*注 覚醒剤の一種。塩酸メタンフェタミンの日本での商品名。製造、所持、使用が法律により禁止されている。

(c)2004、菅原秀 初出「Days Japan」05年1月号

Days Japan 注文先 http://www.fujisan.co.jp/Product/1281680978/
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2004年12月18日

アジアの言語と報道(1)

▼ローマ字表記から発生する誤解

 ビルマ語の表記法の問題点や姓名の書き方については、前項の「ビルマかミャンマーか」で触れたが、アジアの言語は多様だ。取材の過程であらゆる国の言語表記の問題にぶつかる。

たとえば、カンボジアのシアヌークをクーデターで追い出したシソワット家の王族の名を、日本の新聞はシリク・マタク殿下と書いてきた。英語で表記すればSirik Matakなので、それを日本語に置き換えたわけだが、クメール語ではおしまいのKは完全に飲み込まれるそうだ。カンボジア人と話したとき、この人の名前をいったところ、「そんな王族はいない」という話だった。よくよく聞くと日本語とまったく同じ発音でシリマタと言わないと理解できないことがわかった。またクメール語(カンボジア語)には英語のcatなどと同じæの発音がある。

ローマ字でNeak Loeangと書かれる地域は、プノンペンの東部にあり、ベトナム戦争時代にはプノンペンを外敵から守る巨大な軍事基地としてしばしば報道されたが、すべてネアクルン基地と呼ばれていた。これもそのまま発音すると現地の人には何がなんだかわからない。現地語では[næklu:n]という発音であり、ナックルーンまたはニャックルーンという風に表記されるべきものである。

こうした例は、アジアの言語がいったん英語やフランス語で表記されて、それがさらに日本語になるという例の中から発生することが多い。その過程で、原語からほど遠い発音になったりする例が多いので、要注意である。

▼中国語の原音表記

1985年、アメリカ政府は中国語の表記をトーマス・ウェード式のローマ字で行うことを決定した。中国政府が固有名詞の表記による誤解をふせぐ意味で、アメリカ政府に申し入れたのを受けたものであった。この発表にワシントン・ポストやニューヨーク.タイムズなどが好意的に反応し、社告を出し、政府の表記に従うと発表した。

 以前は北京をPekingと表記していたのだが、現地の発音と大幅に違うので問題になっていた。トーマス・ウェード式のローマ字は北京政府が戦後すぐに採用したものであり、北京のことはBeijing(ペイジン)と表記する。さまざまな言語が入り乱れる中国語の共通語である「普通語」(北京語)の発音記号として広く普及している。

 アメリカのマスコミはPekingだけでなく、新華をいままでのShinhuaからXinhua、南京をいままでのNankingからNanjing、周恩来をChou EnlaiからZhou Enlaiなどと切り替えた。最初はなじめなかったアメリカの読者たちも今では、新表記に憤れてしまっている。

 アメリカの発表を受けて、日本のマスコミも、漢字―カタカナ併記法を採用した。北京(ベイジン)、周恩来(チョウ・エンライ)などとしたのだが、長続きがしなかった。「ペキン」や「しゅうおんらい」と言ったほうが通じやすいし、何の不都合も生じないからだ。

 しかし不都合が生じないのは日本国内だけであり、国際間で情報のやりとりをする場合にはまったく不都合なのである。

 国際間での情報のやりとりがひんぱんになっている今日、固有名詞を漢字に直せないという場面によく出くわすようになってしまった。

 以前上海で、現地の外国人特派員たちとの中国情勢の会議に参加したときのことだ。UPI、ロイター、AP、さらにアメリカとヨーロッパの記者が参加しており、わたし以外はすべて西欧人だった。会議は英語で行われたのだが、一般の話題ならついていけるはずの私も、そこでの英語の話についてゆけなくて、閉口してしまった。

 つまり会話の中に出てくる人名や地名などが、中国語のままなので、さっぱりわからないのだ。

「○○大学の学生がハンストをしたときに○○が対話に応じると言ったけれど、実は○○が○○をスケープ・ゴートにしようと思ったらしい。それに気付いた○○は○○に冷静に対応すべきだと言った。しかし○○出身の○○のアジテーションが堂々としていたので○○がすっかりその気になった。実は○○はすでに○○の○○軍に出動の準備を命令していたんだ。発砲を命じたのは○○軍の○○らしい」
とにかく、○○の部分がさっぱりわからなくて、話の内容についていけなかったのである。

 しかたがないのでかたわらにいたロイターの記者に「漢字を書けますか?」と聞いた。このアメリカ人記者の漢字は完璧だった。固有名詞が出た都度、紙に漢字を書いてくれた。

 わざわざ私のために北京の簡体字は難しかろうと、台湾式の旧文字で書いてくれた。おかげでやっと話を理解することができた。漢字の国日本から来たわたしが、ローマ字の国アメリカの記者に、漢字で書いてもらってやっと話についていけるという奇妙なことになった次第である。

 最近は電子メールの発達で、外国のニュースが主として英語でやりとりされるようになってきた。中国の固有名詞がそのままローマ字で表記されている。
「アメリカの上院議員80人が中国のウェイ・ジンションをノーベル平和賞にノミネートした」
こんな記事に出くわすと困ってしまう。
「ウェイ・ジンションって誰だ?」

「ぎ・きょうせい」(魏京生)と書いてもらえばわかるのだが、仮にインターネットでアクセスした情報を翻訳ソフトにかけても、誰のことかは答えてくれない。

 新聞記者だったら、会社の調査部や外信部に間い合わせればすぐに教えてもらえる。しかし、一般の人間には、調べる手立てがない。
 だからこそ、新聞社が率先して中国人や韓国人の名前を周恩来(チョウ.エンライ)、盧泰愚(ノテウ)という風に表記すべきだと思うのだ。あるいは漢字で表記することを一切やめてカタカナで表記するのがいいかもしれない。

アジアの言語と報道(2)に続く

(c)2004加筆、菅原 秀 初出「公評」1997年9月号



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2004年11月27日

ビルマかミャンマーか

ビルマで何が起きているのか、なかなか理解できない理由の一つが、多民族国家であるための用語の複雑さである。さらに長年の鎖国政策が終焉すると同時に、現軍事政権の情報統制が強化されたこともその一つである。1988年の学生運動の弾圧や、アウンサンスーチーと国民民主連盟(NLD)の民主主義を求める闘いは断片的に知られているが、ビルマ軍事政権による人権の実態はほとんど伝えられていない。

日本のマスコミはこの国の国名をミャンマーとしているが、海外のマスコミは軍事政権が勝手に変えた国名であるとして依然ビルマのままで表記していることが多い。英語圏のマスコミは「バーマ」、北欧語圏のマスコミは「ビルマ」で通している。また、アウンサンスーチーをはじめ民主化勢力は「バーマ」を採用している。

国連は、「クーデターによる政権変更があっても国家の同一性が認められる限り承認する」という国家承認の原則のもとに、ミャンマーという国名を受け入れたが、国連人権高等弁務官は「バーマ」を採用している。

また、日本のマスコミはビルマ人の名前をアウン・サン・スー・チーなどと表記しているが、ビルマ語は表意語であり、彼女の名前の意味は「勝」「稀」「集」「澄」であり、山田太郎という名前を、ヤマ・ダ・タ・ロウと分かち書きするような不自然さがある。アウンサンスーチー本人も、在日ビルマ人の大部分も日本語での表記には分かち書きをしないことを求めている。

ビルマ人には姓がない。ビルマの少数氏族にも姓をもたない氏族が多い。国連の事務総長だったウー・タント氏の場合、ウーがミスターにあたる敬称であり、タントが名前である。新聞にはよく「ウー氏によれば」などと書かれているが、完全な誤りである。またおしまいの子音が呑み込まれるので、タンのほうが実際の発音に近い。女性の場合の敬称はドーである。また、若い男性への敬称はコーである。さらにカレン語など他の民族の言語にもそれぞれの敬称が使われているが、本書では混乱をさけるためにそれらの敬称を省略して翻訳した。

現在のビルマを支配しているのは国家平和発展評議会(State Peace and Development Council SPDC)という団体であり、1997年11月まで国家法秩序回復評議会(State Law and Order Restoration Council SLORC)と名乗っていた。ビルマの秩序が安定し、民政移管するまでの臨時の組織であるとしているが、現在も権力の頂点から離れようとしない。

またビルマ国軍は、ビルマ語ではタッマドーと呼ばれる。本来はビルマを列強の支配から守る義勇軍の意味だが、仮想敵のいない現在、国軍の拡張の意味が疑間視されている。詳しくは“ビルマ「発展」のなかの人々”田辺寿夫・岩波新書を参照していただきたい。

(c)菅原 秀 加筆2004  初出 「ビルマの人権」明石書店1999





 
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