2007年06月30日

封建主義からの脱出に苦しむネパール(続き)

▼裸の王様と王子様

 ギャネンドラの悪評は、2001年の王室殺人事件にさかのぼる。王室一家9人を殺害した真犯人ではないかとうわさされていたからである。妻、息子が事件の現場にいたにもかかわらず、無傷だったのは、ギャネンドラがこの事件を影で操っていたのではないかといううわさだ。

 しかもギャネンドラの息子パラス王子は、札付きの不良である。自分の車で死亡事故を起こした後、捜査の警察官に銃を突きつけて無罪放免させるなどの悪業を数多く繰り返している。国民は王室事件の直後に国王になったギャネンドラを、まったく信用していなかったのである。

 ネパールは1990年の民主化闘争以来、絶対王政の権限が縮小され、立憲君主国家として歩みはじめていたというのが一般的理解だ。しかし私は、ネパールは王の絶対支配による制度を現在まで抱えてきた地上最後の封建国家であると考える。国民が貧困であえいでいるにもかかわらず、ネパール王室は世界の王族の中でも飛びぬけた富を所有し、それを浪費し、国民を省みることなかった。

 そして議会政党は、長年にわたって国王の臣下としての地位を疑うことなく受け入れてきた。というよりは、議会に入るということは王室と親交関係を持つエリートとして、支配階級になることを意味したといえる。

 その議会と軍は国王を支え続け、反抗する人々に対して容赦のない弾圧を加えてきた。そうした封建的王政に始めて組織的に反抗したのが、ネパール中西部に拠点を構えたマオイストと呼ばれるグループである。

▼なぜマオイストが生れたか

 ネパール在住のライター小倉清子は、このマオイストについて継続して取材しており、『ネパール王政解体』(NHKブックス)の中で、貧困にあえぐ人々がなぜマオイストになったかについて書いている。克明なインタビューを行い、「マオイストになるか死か」という状況がネパール各地で展開されていたことを明らかにしているのである。

 つまり王室とそれを支える政治政党による長年の封建主義による悪政がマオイストという武装闘争集団を生み出したのである。マオイストは警察や軍から武器を収奪しながら、ネパール全土の7割までその支配を拡大していった。

 ギャネンドラの政権掌握宣言は、明確に国民を覚醒させることとなった。「王政封建主義がある限り、自分たちは永遠に檻の中に捉えられたままだ」ということを理解したのである。その結果、国民はギャネンドラに協力してテロリストを討伐することを拒否し、そのテロリストとの対話をするという奇策に出たのである。

 この奇策は成功し、マオイスト側は議会政党との協力を開始した。最初の協力はカトマンズでの最大規模のデモによって、王に対する国民の「ノー!」を突きつける作戦だった。06年4月に行なわれた100万人とも言われる規模の、あまりの大きさに震え上がった王は4月24日、行政権を国民に戻すことを宣言した。

 さらにマオイストと議会政党は、武装蜂起や議会制回復のロードマップなどの協定を作り、国連に提出した。

 その結果、マオイストの武装解除が国連の手で、進行したのは承知の通りである。

▼まとめ役不在のネパール政治

 ネパールに民主主義が訪れるためには、まだまだ時間がかかるであろう。人々はいまだに封建主義とカースト制度のくびきから逃れていない。

 長年にわたって王室に使えてきた既成政党は、象徴性王政を残して立憲君主国にしようとしている。マオイストは生まれて初めて国会議事堂に入ることになったが、あくまでも王の存続には反対である。今後の対立の火種がくすぶり続けている。

さらに今回のまとめ役になったコイララ首相が高齢で肝臓病を抱えている。コイララに代わるまとめ役がいない今、ネパールの今後は相変わらず目が離せない状態だ。 

 
(了)                  (c)2007 菅原 秀
posted by 菅原 秀 at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月01日

■封建主義からの脱出に苦しむネパール

ネパール情勢を読み解くときは、忘れてならないのは、隣国である中国、インド、ブータンの情勢がどうなっているかにも注目しなければならない。

 これらの国々とは人々の交流も多く、中国領からはチベット人が流入してくる。またインドとの国境地帯にはマデシと呼ばれるインド系ネパール人が、住民登録もされないまま大量に居住しており、その動向がネパールの政治を左右する。90年代にブータンからネパールに流入した難民の問題は、いまだに解決しておらず、ブータン人難民キャンプでは一触即発の状態が続いている。

 そうした中、チベット亡命政府の幹部であるツェテン・ノルブ氏から、SOSという件名が書かれた電子メールが届いた。05年1月21日のことである。これがネパールの悪夢の始まりの知らせだった。

 ツェテン氏は、カトマンズにあるダライ・ラマ法王ネパール事務所と、併設されているチベット難民救護事務所の責任者である。

 SOSとはただごとではないと思って読んでみると、
「ネパール政府により、両事務所の閉鎖を命じられ、継続が不可能になった。これからインドのダラムサラに向かい、法王庁幹部と対策を練る。各国のネパール大使館に対し、事務所閉鎖命令を解除するよう要請していただきたい」という内容であった。

▼チベット人にとってネパールは重要な移動拠点だ

 チベットの民主化活動家は、中国政府による長年にわたる弾圧を逃れて、世界各地に亡命している。インドのダラムサラは亡命したダライ・ラマ法王庁が置かれた亡命政権の拠点であり、1960年にネルー首相によって提供された町である。6000人のチベット人が居住し、亡命政権の各省庁と仏教大学、芸術研究所、図書館などがある静かな町である。

 チベット人に対する中国地方政府からの陰湿な弾圧は、現在でも続いている。北京政府は、チベット人に対する差別はまったくなくなり、漢人と共に平和裏に共存していると発表し続けている。ラサへの高速鉄道も開通し、中国国内や海外からの観光客が、美しいチベット高原を連日訪れている。NHKなどで放映されるチベット鉄道などの映像を見る限り、かつてのチベット人弾圧は終焉したかのようだ。

「今でも月に100人ぐらいのチベット人がヒマラヤを越えて逃げてきます。中には警備が手薄な極寒の冬季を選んで、逃げてくる人もいます。装備なしで何日もかけて歩いて来るのですから、足の指を失うなどの、ひどい凍傷を抱えた状態でネパールにたどり着きます。そのために難民救援事務所はなくてはならない機関なのです」

 ベマ・ギャルポ横浜桐蔭大学教授は、カトマンズにあるチベット人の拠点の重要性をこう説明する。

 もし北京政府が言うように、漢人とチベット人が平和裏に共存しているのなら、冬の最中に命がけでヒマラヤ越えをする人間なぞ、いるはずがない。

 真相は、こうした部分をしっかりと捉えることで見えてくる。

 さて、亡命政権からの事務所閉鎖命令の情報は世界中に発信され、今までネパール王政に開発援助を行ない続けていた欧米諸国の怒りの火を燃やすこととなった。欧米ではノーベル平和賞受賞者であるダライ・ラマの活動を否定するような行動に対して、極めて敏感なのである。

▼ギャネンドラ国王の勘違い

 中国に対する遠慮で、チベット問題に及び腰な日本政府も、今回だけはネパールの情報収集に動き始めたようだ。ギャネンドラが不穏な動きを見せた翌日に外務省報道官がネパール情勢に対する憂慮の発表を行うという早業を行ない、さらに翌年には塩崎外務副大臣をカトマンズに派遣している。

 ギャネンドラ国王は、今回のチベット人に対する仕打ちが、国際社会から大きな反発を受けるという予測はまったくしていなかったようだ。

 各国のNGOが連絡をとりながら、何とかネパール政府に二つの事務所の再開を説得しようと動き始めた矢先の2月1日、そのギャネンドラ国王は自分の言うことを聞かないデウバ首相を解任し、配下の国軍を率いて政権を掌握したのである。

 国王は、テレビを通じて布告を発し、既成政党とマオイストを厳しく非難した。そうした失政を行なった内閣のせいであるとし、自らが政権を掌握すると発表したのである。大義名分は、国軍によってテロリストを討伐することによって国家を安定させ、王の威信にかけて議会制民主主義を回復させるというものだった。

 この発表と同時に国王軍は、インターネットと電話線を切断した。その日からのネパールとの連絡はまったく不可能になった。

 私はカトマンズ・ポストをはじめ、ネパール現地の英文のニュースを入手しようと、連日アクセスを試みたが、インターネットの機能はずっと停止したままだった。ネパール国内の民主化活動家やブータン人難民の事務所に出したメールも届かなかった。

 通信手段を遮断してギャネンドラが行なったのは、閣僚たちの解任だけではなかった。報道機関に軍を派遣し、新聞の発行をすべて停止するように命じていたのである。

 しかし国民は誰もギャネンドラを支持しなかった。新聞は禁止措置を無視して、ゲリラ的に発行を継続していた。

 やっとネパールにインターネットが通じるようになったのは、2月の末頃だった。


(続く)                  (c)2007 菅原 秀
posted by 菅原 秀 at 12:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月02日

国際盗聴網があなたをねらっている(3)

◆日本も傍受されている

さて、日本はエシェロンの傍受対象にされているのだろうか。

ハーガー氏の指摘によれば、特に外交文書がかなり傍受されているという。エシェロンの各国の傍受基地が日本の情報の何を盗み取るかということについては、地域ごとに分担が決まっている。

日本政府が太平洋地域で展開している貿易、海外援助、漁業などの政策や、国際会議などの情報を扱うのは、ニュージーランドの担当である。

日本大使館は通信内容の機密の度合いに応じて、暗号を区別し、主としてテレックスでのやり取りをしているという。難易度の低い暗号が使われた場合は、ニュージーランドの傍受基地の分析官は、難なくその内容を読み取ることができるという。

ニュージーランド情報通信保安局(GCSB)が傍受する日本大使館の電文は、ビザの発給や文化行事、あるいは定期外交報告などであり、こうした文書は機密扱いではないので、傍受が簡単なそうである。しかし、一見なんでもないような内容から日本政府の外交方針を読み取るのが、分析官という高度な訓練を受けたスパイの仕事である。

また太平洋地域の在外日本公館は、外務省と衛星通信で連絡しているので、ニュージーランドが日本の太平洋地域の情報を盗むことは困難だった。

◆甘く見られている日本発の通信

ところが1989年にニュージーランドのワイホバイという場所に通信衛星専門の傍受基地を設置し、日本大使館の情報を読み取れるようになった。これらの電文を分析した日本発の情報にはJADという符牒がつけられ、エシェロン各国の諜報機関に供給する作業が開始された。

ニュージーランド情報通信保安局(GCSB)では分析官たちが通信内容ごとにデータを仕分けし、翻訳する。これをエシェロンの共通書式に従って「最高機密」「機密」などに分類する。日本語の情報を傍受するためにはコンピューターシステムに日本語を組み込まなければならない。この作業はアメリカのNSAが行い、さらに傍受用の特殊なプログラムを開発して、ニュージーランドに持ち込んでいる。

JAD情報は一般的にはたいくつ極まらないものばかりで、ほとんど役に立たないそうだが、日本の役人はときどき油断して「お宝」情報を漏らしてしまうことがある。

語り草となっている話として80年代初めの出来事がある。日本のある外交官が貿易産品の価格交渉での買い入れ可能上限額を、日常連絡用の外交文書で送ってしまったそうである。その結果、ニュージーランド側の食肉団体が大儲けをすることができ、GCSBの存在価値がおおいに認められることになったそうだ。

日本語を傍受する部署はK部と呼ばれる部局にある。K部にはKP課とKE課がある。

Kの意味は単なる部署記号らしいが、Pは太平洋州の意味で、KP課は太平洋諸島国家の政府活動やフランスの核実験の監視を行っている。Eは経済の意味で、KE課は南太平洋の日本の外交通信、ロシアと日本の漁業、さらに南極圏の各国の経済活動を監視している。

またニュージーランドで傍受できない情報に関しては、アメリカが三沢基地に保有している通信傍受施設からも供給され、日本語に強いスタッフが常駐しているニュージーランドのGCSBで分析作業が行われているようである。

したがって、日本が見張られているのは、むしろ外交活動よりも経済活動であると考えたほうがいいだろう。

その意味で、エシェロンは外務省の文書や電話だけでなく、数多くの日本企業の動向を探っていると思われる。つまり、私たちが日常的に利用する電子メールや国際電話も、傍受されていると考えて間違いがないであろう。


◆ 国際盗聴網にどう対応すればいいか

もちろんエシュロンのような不法な活動は、法的にはどの国の法律にも違反する活動であろう。国を越えた諜報活動は、アメリカや英国の国内法にも違反していると思われる。

ところが肝心のアメリカですら、NSAは下院情報委員会からの資料提出要求を、諜報の秘密を理由として拒否する始末で、アメリカ国内での告発活動もままならないようだ。こうした活動に目をつぶる歴代の政権に庇護されながら、NSAはその活動内容を一向に公表しようとはしない。

アメリカには諜報機関が13もあり、お互いの組織が競争活動をすると同時に、スパイ機関同士の組織温存をはかるために、お互いに助け合うということも行っている。
代表的な諜報機関としては、NSAを筆頭に、CIA、DIAなどが有名だ。13の諜報機関をあわせた職員数は20万人程度と推定され、年間300億j程度の予算が全体に配分されていると思われる。

CIAなどの古くからの諜報機関は秘密活動を伴なうスパイ活動を行っていることは広く知られているが、NSAの職員は人前にその姿を表わさない。あくまでも、コンピューターを使った盗聴活動と、暗号解読活動を専門としているので、なかなかその実態が表に出ない。

さて、日本に住んでいる私たちは、この不法な国際盗聴活動にどう対応したらいいのであろうか。

日本国憲法21条では「通信の秘密は、これを侵してはならない」と定めており、それを受けた電気通信事業法四条では「電気通信事業者の取り扱い中にかかる通信の秘密は、侵してはならない」とされ、違反者には2年以下の懲役又は50万円以下の罰金が課されることになっている。

三沢基地の米軍傍受施設が行っている盗聴活動から、具体的な盗聴の事実を証拠としてあげるのはなかなか難しい仕事だと思われるが、アメリカの市民団体の協力があれば、退役軍人などから具体的なデータがもたらされる可能性がないわけでもない。

また、アメリカの市民団体は、NSAの分析活動に混乱をもたらすために、NSAが使うキーワードを大量に打ち込んだ文書を電子メールで流し、NSAのディクショナリーに過剰負担を起させようと呼びかけた。呼びかけたのはアメリカの弁護士リンダ・トンプソン氏である。

トンプソン氏は、効果的なキーワードとして、次のようなものをあげている。一部を紹介しよう。

「米連邦捜査局(FBI)、米中央情報局(CIA)、米国家安全保障局(NSA)、米国税庁、アメリカ教育連盟、米国防総省、オクラホマシティー、 拳銃、テロリズム、爆弾、薬物、特殊部隊、憲法、権利章典、ホワイトウォーター、イランコントラ、モサド、米航空宇宙局、英国諜報部、ロンドン警視庁、マルコムX、革命、ヒラリー、ビル・クリントン、ゴア、ジョージ・ブッシュ」

トンプソン氏の呼びかけが功を奏したのか、ZDネット日本版が2000年1月30日に興味深いニュースを配信している。

「米国家安全保障局のコンピューターに障害――原因は大量傍受による過負荷?」と題した記事によれば、NSAのコンピューターシステムが「深刻な」障害に見舞われ、1月24日から3日間にわたって諜報データの処理に支障をきたした。

 NSAはメリーランド州フォートミードにある本部のコンピューター復旧のため、数千人時にも及ぶ技術者の手と、150万jの費用を費やしたという。NSAの記者発表によれば、「この障害によって、収集した情報そのものが影響を受けることはなかったが、情報の処理には支障をきたした。情報処理のバックログはほとんど完全であり、NSAでは重要な情報が失われたことはないと確信している」ということだ。

またこのNSAのコンピューター障害を最初に報道したABCニュースによれば、NSAディレクターのマイケル・ヘイドン米空軍中将は「今回の問題はYK2関連のものではなく、大量の情報を傍受したことによるコンピューターシステムの過負荷が原因だと」述べている。 (註:YK2=2000年に起きるとされたコンピューター誤作動の問題のこと、実質的には杞憂に終わった)

こうしてNSAに対する批判は、海外だけでなくアメリカ国内でも高まっており、NSAは少しずつ情報公開をせざるを得ない立場に追い込まれている。

その第一歩としてNSAは10年ほど前に「国立暗号博物館」を本部の敷地のはずれに設けている。また最近では「オープンドアー・プロジェクト」なるものを発足させ、ホームページを開設し、第一次世界大戦から第二次世界大戦にいたる期間の諜報文書を公開している。

しかしNSA本部自体は誰も入れないドアにさえぎられている。国際盗聴機関がはるか上空のかなたから、コンピューター技術を利用して私たちを監視する時代は、いつまで続くのだろうか。              (了)

★初出「月刊公評03年12月号」 加筆05年10月
posted by 菅原 秀 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月19日

国際盗聴網があなたをねらっている(2)

◆盗聴はキーワードで分類して取り込む

エシェロン国際盗聴網が行っているのは、海底ケーブルと通信衛星から漏れる通信を特殊機器で収集し、コンピューターに蓄積し、必要な情報を翻訳・分析するのが主な作業である。

電子メールのような文書情報だけでなく、電話による音声情報もデジタル化して収集している。電話番号や、話している人物の名前や声紋を探ることで、特定の情報をアクセスすることができるプログラムが利用されているようだ。

こうした文書と音声情報が、UKUSA同盟各国の秘密基地にあるディクショナリーと呼ばれるコンピューターに分類して蓄積される。

蓄積する場合には、私たちがパソコンで行っている検索方法と同じように、いくつかのキーワードごとに分類する。例えば日本の農業に関することなら「日本」「農業」「輸出作物」など、諜報活動に必要と思われるキーワードにもとづいて大量な文書がため込まれる。

NSAの指示にもとづいて、各国の盗聴機関の分析官と呼ばれる職員がこれらの文書を解読、翻訳し、その結果がワシントンのNSAに集約されるシステムとなっているのである。

ニュージーランドの基地は、地勢的位置を利用して、太平洋諸島の国々や日本、あるいはロシアの船舶などの通信を主として手がけている。日本語の文書を英語に翻訳してワシントンに届けるのもニュージーランドの担当である。

ニュージーランドという独立国家が、なぜアメリカのスパイ作業に協力するのかという大きな疑問が生じるが、この秘密ネットワークはニュージーランドの為政者が知らないうちに、米国やオーストラリアから調達された機器を元にして、あたかもニュージーランド軍のための諜報機関を装って作られていたのである。

つまり、米、英、カナダ、オーストラリア、それにニュージーランドの諜報官僚たちが、国境を越えて、政治家たちに知らせることなくちゃっかりと築き上げたのが、このエシェロンという諜報網なのだ。


◆米国NSAがエシェロンの指令基地

ハーガー氏(前回の記事参照)の著書に敏感に反応したのが欧州の国々であった。EUは調査委員会を発足させ、二〇〇〇年七月、エシェロン国際盗聴網の調査を開始し、2001年7月に公式の報告書を発表した。

この報告書によって、エシェロンという符牒で呼ばれる国際盗聴網が存在するということがはっきりした。

エシェロンに所属する機関は次のとおりである。米国安全保障局(NSA)、英国政府通信本部(GCH)、カナダ通信保安庁(CSE)、オーストラリア防衛通信本部(DSD)、ニュージーランド情報通信保安局(GCSB)である。

エシェロンの各国機関にはディクショナリーと呼ばれる大型コンピューターが、窓のない完全空調の建物に設置されており、盗聴対象項目のあらゆるキーワード、個人名、電話番号などを蓄積している。電子メールや短波通信を大量に傍受して溜め込み、各国機関が協力してそれらの文書や通信を翻訳する。

また、暗号の解読技術も極めて高度に発達しており、各国が大使館とやりとりする暗号などのかなりの部分を解読している模様だ。


◆人権団体をも監視か?

EUの調査委員会は、特にエシェロンが各国の経済情報や人権団体の活動を傍受していることに注目している。つまり、エシェロンは軍事関係の諜報だけでなく、経済動向も調査して米英に有利な取引を行ったり、各国の人権団体の動きも監視している可能性が極めて高いのである。

NSAが他国の機関に命令している例のひとつとしてハーガー氏は、03年3月に興味深い文書を入手し、日本の読者のためにその秘密文書を公開している。この文書は英国のオブザーバー誌がすっぱ抜いたものだ。

NSAのフランク・コザという名前の職員の署名による、おそらく英国の諜報部に向けて出したと思われる「最高機密」と指定された文書である。

この文書には、次のような内容が記されている。
「NSAは米国と英国を除く国連安全保障理事会のメンバーが、イラク問題に対してどう考えているのが、どういう態度で決議にのぞむのか、どういう国々と連携しているのかなどを探る作戦を開始した。これはアメリカの政策を有利にするための作戦であり、同時に国際社会の関心をパキスタンに向かせる作戦とも連動している。特に、国連安全保障理事会メンバーであるアンゴラ、カメルーン、チリ、ブルガリア、ギニアを標的として作戦を実行すること。国務長官が国連安全保障理事会に証拠提出をするので、来週半ばあたりに多くの文書が飛び交うだろう。これらの国を対象とした傍受・分析作業に集中して欲しい」
というものである。

つまり、アメリカのイラク侵攻を正当化するために、各国の諜報機関はアメリカ政府に協力せよというのだ。

この文書からわかるのは、私たちが知らないうちに、アメリカ政府はアングロ・サクソンだけの連合国を秘密裏に形成し、その盟主として諜報機関を通じて、国際世論操作を行っているようだ。

さて、EUはエシェロンにどう対応したのであろうか。
まずEUは調査委員会を設置する前に、ダンカン・キャンベル氏という英国のテレビ・ジャーナリストに調査を依頼した。

キャンベル氏は2年かけてハーガー氏の書物の裏付け調査をし、エシェロンがハーガー氏が指摘しているとおりに存在していることと、アメリカの企業がエシュロンを利用してEU企業を国際入札で追い落としたことが二回あるとの調査結果を発表した。

これを受けたEUは三十二人のメンバーによる調査委員会を発足させ、2001年5月にはワシントンを訪れ、NSA当局との面談を要求している。しかしNSAはこの面談の要求を拒否している。にもかかわらずEUの調査委員会は詳細にわたる報告書を完成させ、UKUSA五カ国による国際盗聴網を阻止する行動をとらなければならないという提言をまとめている。

特に英国に対するEU諸国の怒りは相当なもので、フランスがあくまでもアメリカのイラク侵攻に反対するのには、こうしたバックグラウンドもあるということも、考えておく必要があるであろう。

しかしながらエシェロンに対するEUの怒りは、むしろ盗聴によってEU企業の国際競争を阻害しているという点からきているようで、明確な国際法違反である盗聴活動に法的対抗措置を採るという動きには、今のところ発展していない。むしろ、フランスがこのシステムに逆に興味を持ち、自前の国際盗聴システムを構築しようとする動きさえ見せている。

エシェロンはどんな国や団体を対象に、何の目的で傍受作業をしているのだろうか。エシェロン・ウォッチャーによれば、有名な例としては、ジョン・レノン、マザー・テレサ、ダイアナ元皇太子妃などの名前があがっているが、真偽のほどは定かではない。しかし、NSAの元職員などが断片的に伝えているこうした有名人の名前から、米英に対する反体制運動に結びつきそうな人物の通信が、積極的に傍受されていることは間違いがないようだ。(つづく)

★初出「月刊公評03年12月号」 加筆05年9月



posted by 菅原 秀 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国際盗聴網があなたをねらっている(2)

◆盗聴はキーワードで分類して取り込む

エシェロン国際盗聴網が行っているのは、海底ケーブルと通信衛星から漏れる通信を特殊機器で収集し、コンピューターに蓄積し、必要な情報を翻訳・分析するのが主な作業である。

電子メールのような文書情報だけでなく、電話による音声情報もデジタル化して収集している。電話番号や、話している人物の名前や声紋を探ることで、特定の情報をアクセスすることができるプログラムが利用されているようだ。

こうした文書と音声情報が、UKUSA同盟各国の秘密基地にあるディクショナリーと呼ばれるコンピューターに分類して蓄積される。

蓄積する場合には、私たちがパソコンで行っている検索方法と同じように、いくつかのキーワードごとに分類する。例えば日本の農業に関することなら「日本」「農業」「輸出作物」など、諜報活動に必要と思われるキーワードにもとづいて大量な文書がため込まれる。

NSAの指示にもとづいて、各国の盗聴機関の分析官と呼ばれる職員がこれらの文書を解読、翻訳し、その結果がワシントンのNSAに集約されるシステムとなっているのである。

ニュージーランドの基地は、地勢的位置を利用して、太平洋諸島の国々や日本、あるいはロシアの船舶などの通信を主として手がけている。日本語の文書を英語に翻訳してワシントンに届けるのもニュージーランドの担当である。

ニュージーランドという独立国家が、なぜアメリカのスパイ作業に協力するのかという大きな疑問が生じるが、この秘密ネットワークはニュージーランドの為政者が知らないうちに、米国やオーストラリアから調達された機器を元にして、あたかもニュージーランド軍のための諜報機関を装って作られていたのである。

つまり、米、英、カナダ、オーストラリア、それにニュージーランドの諜報官僚たちが、国境を越えて、政治家たちに知らせることなくちゃっかりと築き上げたのが、このエシェロンという諜報網なのだ。


◆米国NSAがエシェロンの指令基地

ハーガー氏(前回の記事参照)の著書に敏感に反応したのが欧州の国々であった。EUは調査委員会を発足させ、二〇〇〇年七月、エシェロン国際盗聴網の調査を開始し、2001年7月に公式の報告書を発表した。

この報告書によって、エシェロンという符牒で呼ばれる国際盗聴網が存在するということがはっきりした。

エシェロンに所属する機関は次のとおりである。米国安全保障局(NSA)、英国政府通信本部(GCH)、カナダ通信保安庁(CSE)、オーストラリア防衛通信本部(DSD)、ニュージーランド情報通信保安局(GCSB)である。

エシェロンの各国機関にはディクショナリーと呼ばれる大型コンピューターが、窓のない完全空調の建物に設置されており、盗聴対象項目のあらゆるキーワード、個人名、電話番号などを蓄積している。電子メールや短波通信を大量に傍受して溜め込み、各国機関が協力してそれらの文書や通信を翻訳する。

また、暗号の解読技術も極めて高度に発達しており、各国が大使館とやりとりする暗号などのかなりの部分を解読している模様だ。


◆人権団体をも監視か?

EUの調査委員会は、特にエシェロンが各国の経済情報や人権団体の活動を傍受していることに注目している。つまり、エシェロンは軍事関係の諜報だけでなく、経済動向も調査して米英に有利な取引を行ったり、各国の人権団体の動きも監視している可能性が極めて高いのである。

NSAが他国の機関に命令している例のひとつとしてハーガー氏は、03年3月に興味深い文書を入手し、日本の読者のためにその秘密文書を公開している。この文書は英国のオブザーバー誌がすっぱ抜いたものだ。

NSAのフランク・コザという名前の職員の署名による、おそらく英国の諜報部に向けて出したと思われる「最高機密」と指定された文書である。

この文書には、次のような内容が記されている。
「NSAは米国と英国を除く国連安全保障理事会のメンバーが、イラク問題に対してどう考えているのが、どういう態度で決議にのぞむのか、どういう国々と連携しているのかなどを探る作戦を開始した。これはアメリカの政策を有利にするための作戦であり、同時に国際社会の関心をパキスタンに向かせる作戦とも連動している。特に、国連安全保障理事会メンバーであるアンゴラ、カメルーン、チリ、ブルガリア、ギニアを標的として作戦を実行すること。国務長官が国連安全保障理事会に証拠提出をするので、来週半ばあたりに多くの文書が飛び交うだろう。これらの国を対象とした傍受・分析作業に集中して欲しい」
というものである。

つまり、アメリカのイラク侵攻を正当化するために、各国の諜報機関はアメリカ政府に協力せよというのだ。

この文書からわかるのは、私たちが知らないうちに、アメリカ政府はアングロ・サクソンだけの連合国を秘密裏に形成し、その盟主として諜報機関を通じて、国際世論操作を行っているようだ。

さて、EUはエシェロンにどう対応したのであろうか。
まずEUは調査委員会を設置する前に、ダンカン・キャンベル氏という英国のテレビ・ジャーナリストに調査を依頼した。

キャンベル氏は2年かけてハーガー氏の書物の裏付け調査をし、エシェロンがハーガー氏が指摘しているとおりに存在していることと、アメリカの企業がエシュロンを利用してEU企業を国際入札で追い落としたことが二回あるとの調査結果を発表した。

これを受けたEUは三十二人のメンバーによる調査委員会を発足させ、2001年5月にはワシントンを訪れ、NSA当局との面談を要求している。しかしNSAはこの面談の要求を拒否している。にもかかわらずEUの調査委員会は詳細にわたる報告書を完成させ、UKUSA五カ国による国際盗聴網を阻止する行動をとらなければならないという提言をまとめている。

特に英国に対するEU諸国の怒りは相当なもので、フランスがあくまでもアメリカのイラク侵攻に反対するのには、こうしたバックグラウンドもあるということも、考えておく必要があるであろう。

しかしながらエシェロンに対するEUの怒りは、むしろ盗聴によってEU企業の国際競争を阻害しているという点からきているようで、明確な国際法違反である盗聴活動に法的対抗措置を採るという動きには、今のところ発展していない。むしろ、フランスがこのシステムに逆に興味を持ち、自前の国際盗聴システムを構築しようとする動きさえ見せている。

エシェロンはどんな国や団体を対象に、何の目的で傍受作業をしているのだろうか。エシェロン・ウォッチャーによれば、有名な例としては、ジョン・レノン、マザー・テレサ、ダイアナ元皇太子妃などの名前があがっているが、真偽のほどは定かではない。しかし、NSAの元職員などが断片的に伝えているこうした有名人の名前から、米英に対する反体制運動に結びつきそうな人物の通信が、積極的に傍受されていることは間違いがないようだ。(つづく)

★初出「月刊公評03年12月号」 加筆05年9月
posted by 菅原 秀 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(1) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月04日

国際盗聴網があなたをねらっている(1)

みなさん、
ここしばらく人身売買問題の取材に集中しており、アジア・ジャーナルの更新の時間が取れませんでした。ごめんなさい。みなさんに新しい情報をお届けするために、既出雑誌の出版社に転載のお願いをしています。新しく掲載したものは、すぐには無理ですが、少しずつクリアしていこうと思います。
今回は、一時世界中で騒がれたエシェロン(新聞ではエシ(ュ)ロンと報道されていますが、米国の諜報網なので、ここではエシ(ェ)ロンとします)について、復習してみます。
―――――――――――――――――――――――――――――

◆いまだに健在なエシェロン国際盗聴網

アメリカが中心になって第二次世界大戦の頃から形成してきた国際盗聴網「エシェロン」が、2000年に世界的に知られるようになり、大きな問題になったが、最近はまったくこの件に関しての報道が見られなくなってしまった。
しかし、決して国際盗聴網がなくなったわけではない。
ワシントン郊外の国家安全保障局(NSA)に本部を置くこの国際盗聴網はいまだに健在であり、堂々と諜報活動を続けている。
この盗聴網のしくみについてまだ知らない人のために、その概要について簡単に解説してみよう。
国家安全保障局(NSA)はワシントンDCに隣接したメリーランド州フォートミードに本部を構えている。創設されたのは1952年だが、その前身は1930年代にさかのぼる。
第二次大戦前の米軍は、ドイツを中心とした枢軸国に傍受されないよう、英軍との間でA3と呼ばれる暗号コードを使って、短波通信によるやり取りをしていた。
その後1935年に、この暗号コードはボコーダーと呼ばれる音声合成システム置き換わり、デジタル技術に直接結びつく音声暗号システムに変化して行く。
枢軸国の側は乱数表を使ったモールス信号と短波信号を中心に相互通信を行っていたが、米英側はすでに枢軸国側の暗号を傍受する技術を完成させていたようである。
ワシントンで人気の高いスパイ博物館に行くと、当時の連合国と枢軸国側の傍受の歴史が展示されていて興味深い。この博物館には世界中の有名なスパイや、スパイの小道具が展示されており、伊賀忍術の創始者といわれる百地三太夫も、日本の諜報員のひとりとして展示されている。
真珠湾に関する展示コーナーでは、アメリカは真珠湾攻撃に関連した日本側の暗号をすでに解読していたが、場所が特定できなかったので大きな被害を受けたと解説されている。
つまり、米英軍は第二次世界大戦の当時にはすでに現在のデジタル技術に道を開くシステムを完成させていたと同時に、乱数表などを使った敵国の暗号の解読技術を高度に発展させていたのである。
第二次世界大戦が終結すると、米英軍が傍受する対象は共産圏の動きに変化していった。
1952年には、アメリカの国家安全保障局(NSA)と英国の政府通信本部(GCHQ)が、新たに生まれた冷戦の動きに対応するために、相次いで設立されている。

◆ アングロ・サクソン盗聴同盟

米英が相次いで盗聴組織を作ったのには伏線がある。第二次大戦の最中にアメリカと英国は、英米安全保障協定(UKUSA)と呼ばれる秘密協定を結んでいた。
英語でユークーザと発音されるこの同盟は、最初は英米間の秘密協定だったようだが、いつしかカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの三カ国を含めたアングロ・サクソン国家による国際盗聴同盟に発展していった。
しかし、この国際盗聴同盟は1996年までは国際社会にまったく知られることがなかった。
ニュージーランドのジャーナリストがちょっとしたきっかけから、国際盗聴同盟の支部がニュージーランドに存在することに気づき、慎重な調査をして、その存在を告発した。当時のニュージーランド首相すらその存在を知らなかったほど、国際盗聴同盟は秘密のベールにつつまれていたのである。
当初、米英の盗聴機関はアジア太平洋の情報を盗聴するために、三沢、香港シンガポールの三カ所に秘密基地を設けて傍受活動をしていたようだが、米英から遠すぎるので、オーストラリアとニュージーランドにもひそかに、傍受基地を設けることにしたようだ。
たまたまニュージーランドのタンギモアナ基地の近所に住む友人を訪ねてきたオーエン・ウィルクスという平和問題の研究家が、その基地に設置されていたアンテナの形状が、盗聴用の傍受専門のアンテナであることに気づいた。
ウィルクス氏は、この傍受基地の建設のいきさつなどを調べ、1983年、ニュージーランドの平和問題研究誌に記事を書き、秘密傍受基地が存在することを告発した。
この告発によって、秘密傍受基地の存在は国会でも問題になり、当時のマルドゥーン首相は、国会で秘密基地の存在を認めざるを得ないという騒ぎになった。
しかし、この秘密基地がUKUSA同盟に組み込まれた国際盗聴網であるということは、国会で答弁をした当のマルドゥーン首相すら知らなかった。

◆日本の三沢基地にも盗聴施設がある

そのことがわかるまでにはさらに、13年の時間がかかった。ウィルクス氏の記事に注目したジャーナリストのニッキー・ハーガー氏が、ニュージーランドに設置されていた秘密基地を慎重に調査し、この秘密基地がニュージーランドの主権を無視したアメリカの出先機関であるという驚くべき事実を突き止めて書物に発表したのは、一九九六年のことだった。
ハーガー氏による入念な調査報告書は世界中の人を驚かせた。最初はまゆつばだと思っていた人々も、ハーガー氏の十分に裏付けをとった調査を読み進むうちに、国際盗聴網の閉ざされた真実に気づき始めた。ついに欧州連合(EU)が腰をあげて調査委員会を設置。エシェロン(フランス語ではエシュロン)という符牒で呼ばれる国際盗聴網の存在が国際的に明らかになった。
日本での報道は、欧州連合の調査を受けて火がついたようだが、基本情報がはっきりしなくて盛り上がりに欠けてしまっている。
無理もない。この問題の全貌を告発したハーガー氏の著書が日本語に翻訳されたのは、やっと2003年の夏になってからだったからだ。
「シークレットパワー・国際盗聴網エシェロンとUKUSA同盟の闇」(ニック・ハーガー著、佐藤雅彦訳、リベルタ出版)というタイトルで翻訳されたハーガー氏の書物は、実に詳細な調査にもとづいており、読み進むほどに、その正確さにうなってしまう。調査報道による説得力の強さに誰しも驚くであろう。
本来なら、こうした重要な書物は原書が出ると同時に読んでおかなければならないのだろうが、いかに重要な書物でも骨の折れる原書にあたる時間はなかなか取れないのが現実である。
日本国内の三沢基地にも国家安全保障局(NSA)に情報を提供するためのアンテナ群が建てられていることが、ハーガー氏の書物でも詳述されており、アメリカによるこうした不法行為に対して、どういったアクションを採ったらいいものやら、考え込んでしまった。(つづく)

 ★初出「月刊公評03年12月号」 加筆05年9月
posted by 菅原 秀 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(1) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月16日

民主主義を誤訳した日本(2)

▼なぜ民主主義を採用しなければならないのか

ではデモクラシー(民主主義)とは何なのか。
 非常に明瞭なことだが、国連などの国際機関すべてが採用している基準や条約は、どれも民主主義を基礎にしている。それでは、国連や国際機関はなぜ民主主義を採用しているのだろうか。
 
国連憲章にはその目的として「すべての人々の人権と基本的自由を守る」という程度にしか記載されていないが、民主主義の目的はさまざまな国際法に数多く盛り込まれており、国際法全体とそれに基づく無数の条約によって、ルールとして採用されているのである。
 もっとも一般的でわかりやすく、人類すべてに適応される国際基準として引き合いに出されるのは「世界人権宣言」であろう。

 そのうち、宗教、表現、結社に関する三カ条だけを抜き出してみよう。

第十八条 すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。
第十九条 すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。
第二十条 一、すべての人は、平和的集会及び結社の自由に対する権利を有する。
二、何人も、結社に属することを強制されない。

 こうした基準と同じような「思想、表現、結社の自由」に関しては日本の憲法でもうたわれているし、多くの国々が、採用している。

▼民主主義は暴走を止める「くさび」である

 なぜこうした基準が必要かというと、為政者が勝手に法をねじまげて人民を隷属させないようにするための「くさび」なのである。

 しかし、中には国際基準としての民主主義は間違いだと主張する為政者もいる。有名な例では、マレーシアのマハティール元首相やシンガポールのリー・クアンユー上級相が主張する「アジア型民主主義」がある。つまり、アジアの場合は経済的開発を先にして、貧困をなくさない限り民主主義は実現しない。そのために多少、人権が無視されるのは致し方ないことなのである。という理屈であり、開発独裁の理論として日本を含むアジア全体からの支持を受けているものである。しかし、この開発独裁の理論も民主主義を否定するものではなく、究極的には民主主義がアジアに定着すべきであると言うことは否定していない。

▼「しつけられた民主主義」?

変わった形としては、ビルマ(ミャンマー)が標榜する「しつけられた民主主義」"disciplined democracy”というのがある。つまり、ビルマは将来は民主主義国家を目指すが、その民主主義とは政府に反抗せずに整然と秩序を保つ、よくしつけの行き届いた民主主義でなければならない。というものである。この考えは、かつてのタイにも存在したし、ラテンアメリカにも存在しているようだ。民主主義を完全にねじ曲げて自国民を納得させようと言う試みであり、その国に住んでいる人々にとってははなはだ迷惑なシロモノだが、他国に影響を及ぼす心配は、まずないだろう。

ビルマのような考え方は、国際社会では通用せず、特に欧米からは強い批判をうけており、アウンサンスーチーの再三の逮捕などの人権弾圧に対して、各国から制裁を受けているのは周知の通りである。

▼心に余裕をもたらすのが民主主義


ところが、ビルマと同じように「固有の民主主義」を標榜していた国々も、民主化されると同時に、人々の生活が一変している。アジア地域だけでも、かつての軍事独裁国家から民主化した国々がいくつもある。タイ、フィリピン、韓国、台湾などである。またかつての共産主義国家のモンゴルも少しずつ民主化の歩みを進めており、他の旧共産圏国家も近い将来、民主化の道を歩むのは時代の趨勢であろう。

 民主主義とは決して「イズム」ではなく、その国に住む人々の将来の自由を作り出すためのシステムなのである。そして「現在がダメ」だからといって否定すべきものでは決してなく、政治制度の改善の工夫を保障するためのシステムなのである。

(c)2004菅原 秀/初出「もうひとつの国際貢献」リベルタ出版2003 



posted by 菅原 秀 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月15日

民主主義を誤訳した日本(1)

 私は03年、米国国務省のレーガン・ファッセル奨学金のフェローとして、3カ月間、アメリカのワシントンで、民主化支援基金のシステムについて研究した。
 私に与えられたオフィスは、この奨学金事業を受諾している米国民主主義基金(NED)の民主主義研究所内の一室だった。 
 
 NEDはドイツの政治財団をモデルに1983年に設立されたアメリカのNPOで、ビルマなどの独裁国家や、アフガニスタンなどの破綻国家のNGOに助成をしている民主化支援基金のひとつである。現在、日本をのぞく先進国のすべてが、民主化支援財団を保有しており、NGOの活動資金の半分以上が世界に50ほどある民主化支援基金によって支えられている。
 
 日本だけがなぜ、例外になっているのかというのも、私の研究テーマのひとつでもあった。そのカギは、民主主義という概念の把握の仕方によるものであるのではないか。

 まず研究を開始するに当たって、研究所のスタッフ一同に私の研究方針を説明した。

「日本ではどうも民主主義という言葉が、欧米とは違う意味でとらえられる傾向が強いのです。ブッシュ政権によるイラク攻撃以来、日本にはアメリカを嫌う人がかなり増えてきています。やはりアメリカが言っていた民主主義というのはでたらめだった。その証拠に、ブッシュ政権は民主主義を口実にしながら、イラクの一般市民を巻き添えにする攻撃をいとわなかった。という意見がたくさん聞かれます。平和主義者の多い日本がブッシュ政権を嫌うのは、皆さんにもご理解できることと思います。しかし、皆さんが理解できないと思われることは、アメリカが嫌いだという感情を持つ人が日本に増えているだけでなく、民主主義は否定されるべきだという意見が広がっているという状況です。この件に関しては、ブッシュ大統領に責任があるのではなく、日本人自身がずっと抱いてきた民主主義に対する誤解が原因になっているといえます。つまり、日本人の間には民主主義を、共産主義や資本主義と同じような、『イズム』の一つであると考えている人が実に多いのです。欧米の人々は、民主主義というものは世界人権宣言でうたわれているように、基本的人権を守るためのシステムであると考えています。しかし、そうした国際理解が、日本には定着していないのです。そのことを前提にして、調査活動を開始したいと思います」
 
 そして、民主主義を否定している例として、日本語の本を例示した。
 ある学者が書いた「民主主義とは何なのか」という奇妙な新書本である。民主主義は血塗られた歴史であるということが何度も繰り返し語られている。確かにそこまでは納得できる。フランス革命以降の近代国家は、戦争を開始する理由として「民主主義を守るため」という言い訳を押し付けてきた歴史があるからだ。つまり、多くの為政者が「民主主義」を戦争の口実として利用してきたからである。

 しかし、この著者の理屈のおかしい点は、「民主主義は血塗られた歴史を持つので、陰謀そのものである。だから民主主義を否定すべきである」と結論づけている点である。
 
 この理屈だと、あらゆるシステムが否定されなければならない。交通システム、議会システム、教育システム、医療システムなど、どんなシステムでも血塗られた歴史を持たないものはない。交通事故をなくすために必死に戦っている全世界の交通警察官、あるいは事故防止の技術的工夫をしている数多くの自動車工。こうした人々は交通システムを改良するために戦っているのである。誰一人として交通システムが「多くの人々を殺しているので、陰謀そのものである。したがって交通システムを否定すべきである」などとは考えていない。
 
 おそらくこの本の著者が想定しているのは、「民主主義」という名目でとんでもない事態が出現し、あれよあれよという間に愚民政治による政治支配が実現する恐れなのだろう。
 
 スタッフ一同はこの本の論理に驚き、なぜそんな考え方があるのか理解できないままに話が進んだ。
 
 そのとき、インターンのビクトリア・ウーが本の表紙を指差して質問した。ビクトリア・ウーは台湾からスタンフォード大学に留学し政治学を学んでいる学生である。
 NEDはインターンの人気が高く競争率が高いので、かなり優秀な学生でないと仕事をさせてもらえない。彼は、その中でもとびきり優秀な頭脳の持ち主で、私が調べようとしている難しいテーマに対する的確な答えを、かなり短い時間で見つけ出す能力に優れていた。日本などではめったに見当たらないタイプの学生である。

「その本のタイトルは民主という漢字に続けて、主義という漢字が書かれています。中国語の主義という漢字は『イズム』という意味ですが、この本ではなぜデモクラシーを意味する民主のあとに、『主義』という言葉をつけているのですか。民主主義という日本語を英語に直すと、どうなるんですか」

 私は、最初、彼の質問の意味がわからなかった。
「じゃ、ビック君、デモクラシーのことを中国語では何と言うんですか」
「ミンジュです。漢字で書けば民主です」
「え、中国語ではデモクラシーのことを民主というの?民主主義じゃなかったんだ」

 この不思議な謎を解くために、ふたりはさっそく同じフェローである中国人の学者、何包鋼(ハー・バオガン)教授のオフィスに向かった。
「バオガンさん。中国ではデモクラシーのことを民主というそうですが、もし民主主義と書いたら中国ではどういう意味になるのですか?」

 何包鋼は、中国では非常に珍しい民主主義の研究家で、中国の農村地帯の政治参加のシステムと民主主義の関係を調査している。その方法もユニークで、農村で代表を選ぶ選挙システムを人民委員会の選出のような形ではなく、私たちが慣れている選挙システムのような形にし、結果的にうまくゆくことを実証しながら、地方政府に民主主義制度の導入を少しずつ納得させてゆくというものである。

 何教授は、ニコニコしながらこう答えた。
「中国ではデモクラシーのことを『民主』と訳しています。実は一九〇五年に日本語から訳された言葉なのです。翻訳をする際に、民主主義ではおかしい。デモクラシーは『主義』ではないという議論が起き、頭の部分の『民主』を定訳としたのです。このいきさつについては東大の確か、高柳さん、もしくは高瀬さんという先生が、論文に書いています。残念ながら原本はシンガポール大学に置いてあるのでお見せできませんが」

 まさか、シンガポールまで行くわけにもいかないので、米国議会図書館のアジア・ライブラリーに出向いてみた。ここには中国、韓国、日本の図書が収録されている。着任したばかりの日本人の司書の女性に手伝っていただいて、高柳、または高瀬という先生の論文を調べてみたが、とうとう見つからなかった。

 しかし、ビクトリアの思わぬ発見は、私たち日本人にとってはとても重要な本質的な問題である。
 おそらく、約百年前に、デモクラシーという言葉が日本語に訳されるときに、「民主主義」となった。それが朝鮮半島にはそのままの形で伝わった。しかし、中国人はこの漢字に疑問を感じた。そこで、「民主」と訳して「主義」による誤解を排除したというのが、真相だろう。

 何包鋼教授は、さらにこう付け加えた。
「日本には昔から四字熟語でないと落ち着かないという風習があるのです。だから、民主に主義をつけてしまったのです。中国にはそうした感覚がないので、日本の四字熟語を訳すときに、二字になったり三字になったりすることが、よくあります。しかし、民主主義という漢字は、中国ではどうしても受け入れることができない意味を持っています。つまりデモクラシーがイデオロギーであるということになってしまうからです」

 この言葉で、非常に明瞭になってきた。「民主主義とは何なのか」を書いた著者は、デモクラシーをイデオロギーの一種と勘違いしていたのだ。
 世界の人々がユートピアを夢見て、さまざまなイデオロギーを捜し求めてきた。共産主義が正しいのか。社会主義が正しいのか。数多くの人々が悩み、傷つき、現実を知って挫折してきた。さきほどの本の著者は民主主義が、それらの主義の一つだと思って、真剣に追い求め続けたのだろう。その結果、どの国の政治もあまりにもでたらめなことに失望し、民主主義を否定すべきだと考えるようになったのだろう。
 
 皆さんもそうだろう。もし民主主義が共産主義に対置するイデオロギーだとしたら、民主主義というものを選ぶだろうか。

 アメリカやインドなど民主主義がかなり進んでいるといわれる国も、貧困、不平等、犯罪など、あらゆる問題があふれている。

 民主主義が人類の理想としてのユートピア主義のひとつだとしたら、民主主義が実現している国々にどうしてこんなに不平等があるのだろうと考えるのは、自然なことではないか。

 民主主義は、そうした人々が勘違いしているような「イズム」ではない。そんなに甘いユートピアなどでは決してない。なぜなら社会を構成するシステムに過ぎないからだ。民主主義にイズムを求めても、単なるシステムである民主主義は何の返答もしてくれないのだ。民主主義は日々の戦いであり、最終目標であるということはありえないのである。

(c)2004菅原 秀/初出



posted by 菅原 秀 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする