2007年06月30日

封建主義からの脱出に苦しむネパール(続き)

▼裸の王様と王子様

 ギャネンドラの悪評は、2001年の王室殺人事件にさかのぼる。王室一家9人を殺害した真犯人ではないかとうわさされていたからである。妻、息子が事件の現場にいたにもかかわらず、無傷だったのは、ギャネンドラがこの事件を影で操っていたのではないかといううわさだ。

 しかもギャネンドラの息子パラス王子は、札付きの不良である。自分の車で死亡事故を起こした後、捜査の警察官に銃を突きつけて無罪放免させるなどの悪業を数多く繰り返している。国民は王室事件の直後に国王になったギャネンドラを、まったく信用していなかったのである。

 ネパールは1990年の民主化闘争以来、絶対王政の権限が縮小され、立憲君主国家として歩みはじめていたというのが一般的理解だ。しかし私は、ネパールは王の絶対支配による制度を現在まで抱えてきた地上最後の封建国家であると考える。国民が貧困であえいでいるにもかかわらず、ネパール王室は世界の王族の中でも飛びぬけた富を所有し、それを浪費し、国民を省みることなかった。

 そして議会政党は、長年にわたって国王の臣下としての地位を疑うことなく受け入れてきた。というよりは、議会に入るということは王室と親交関係を持つエリートとして、支配階級になることを意味したといえる。

 その議会と軍は国王を支え続け、反抗する人々に対して容赦のない弾圧を加えてきた。そうした封建的王政に始めて組織的に反抗したのが、ネパール中西部に拠点を構えたマオイストと呼ばれるグループである。

▼なぜマオイストが生れたか

 ネパール在住のライター小倉清子は、このマオイストについて継続して取材しており、『ネパール王政解体』(NHKブックス)の中で、貧困にあえぐ人々がなぜマオイストになったかについて書いている。克明なインタビューを行い、「マオイストになるか死か」という状況がネパール各地で展開されていたことを明らかにしているのである。

 つまり王室とそれを支える政治政党による長年の封建主義による悪政がマオイストという武装闘争集団を生み出したのである。マオイストは警察や軍から武器を収奪しながら、ネパール全土の7割までその支配を拡大していった。

 ギャネンドラの政権掌握宣言は、明確に国民を覚醒させることとなった。「王政封建主義がある限り、自分たちは永遠に檻の中に捉えられたままだ」ということを理解したのである。その結果、国民はギャネンドラに協力してテロリストを討伐することを拒否し、そのテロリストとの対話をするという奇策に出たのである。

 この奇策は成功し、マオイスト側は議会政党との協力を開始した。最初の協力はカトマンズでの最大規模のデモによって、王に対する国民の「ノー!」を突きつける作戦だった。06年4月に行なわれた100万人とも言われる規模の、あまりの大きさに震え上がった王は4月24日、行政権を国民に戻すことを宣言した。

 さらにマオイストと議会政党は、武装蜂起や議会制回復のロードマップなどの協定を作り、国連に提出した。

 その結果、マオイストの武装解除が国連の手で、進行したのは承知の通りである。

▼まとめ役不在のネパール政治

 ネパールに民主主義が訪れるためには、まだまだ時間がかかるであろう。人々はいまだに封建主義とカースト制度のくびきから逃れていない。

 長年にわたって王室に使えてきた既成政党は、象徴性王政を残して立憲君主国にしようとしている。マオイストは生まれて初めて国会議事堂に入ることになったが、あくまでも王の存続には反対である。今後の対立の火種がくすぶり続けている。

さらに今回のまとめ役になったコイララ首相が高齢で肝臓病を抱えている。コイララに代わるまとめ役がいない今、ネパールの今後は相変わらず目が離せない状態だ。 

 
(了)                  (c)2007 菅原 秀


posted by 菅原 秀 at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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