2014年06月20日

NSCを無視したケネディ5

このシリーズ3では、ケネディが太平洋戦争で遭遇した敵、花見弘平少佐(当時)との運命的な出会いについて解説した。と、同時にケネディが海軍に入ったのは父のコネであることも解説した。つまり、当時の海軍長官ジェームズ・フォレスタルは、父ジョセフの投機事業の仲間だったのである。ケネディが第三次世界大戦の危機を回避することが出来た背景には、こうした複雑な出会いがモザイクのようにからんでいたのである。


★NSCのアイデアはウォール街から生まれた 

さてジョン・ケネディを魚雷艇の艇長にしたジェームズ・フォレスタル海軍長官とはどんな人物だったのだろうか。

フォレスタルは、父ジョセフと同じくアイルランド移民の子孫で、共にルーズベルトに財政支援をしたウォールストリートの投資会社の社長だったのであるが、戦後、ルーズベルト大統領から特別補佐官に就任しないかという誘いを受け、ワシントンにやってきた。

ほどなくフォレスタルは海軍長官に転進し、そこで商才を発揮することになる。投資会社時代の才覚によって戦争特需を生み出し、国家予算の増大に貢献したのである。

その手腕が認められ、今度はトゥルーマン大統領の下で働くことになる。素晴らしいチャンスが訪れた。国防総省が設立されるとともに初代長官に任命されたのである。

さて、トゥルーマン政権下で設立されたのが国家安全保障会議(NSC)である。大統領を議長として首席補佐官が司会をし、副大統領、国務長官、国防長官、統合参謀本部議長、CIA長官などを中心として協議する最高意思決定機関であるが、非公開で行われ、国民の意思が反映されないものの、国務長官や国防長官などのシビリアン(文民政治家)が権限を持つことで、軍部が勝手な動きをとれなくする仕組みを作り出そうというものだった。

つまり、シビリアン・コントロールという甘い言葉のオブラートに包まれた戦争遂行機関がNSCなのである。

フォレスタルは、戦争特需システムを恒久化するために、出来たばかりのNSCを利用しようと考え、トゥルーマンの共産主義に対する恐怖を利用することにした。
 
そこで、投資会社時代に副社長だったポール・ニッツェをワシントンに呼び寄せ、NSCを担当する政策分析官のポジションにつけたのである。1950年に、ニッツェはその後のアメリカの冷戦政策の指針となっているNSC68(国家安全保障会議文書68号)という極秘政策文書を完成させている。名目はトルーマン大統領からの依頼で作られたことになっているが、実際は、フォレスタルが当時台頭してきたソ連の共産主義に対するトルーマンの恐怖感を知っての上で、総合軍事戦略の策定を進言しての結果であった。

NSC68というのは、NSCの政策文書に名付けられる単なる通し番号なのだが、このNSC68だけは、アメリカが危機にさらされたときに極めて役立つ政策だとして何度も利用され、事実上の国家安全保障戦略の基本となっている。ブッシュ政権時代のアフガニスタン戦争も、そしてイラク戦争もこの文書のノウハウに基づいて遂行されているので、この文書はアメリカの軍事政策を知る上での必読書だ。一九七五年に極秘文書から解除されたので、今では誰でも閲覧できる。

その内容をおおざっぱにいえば、ソ連に対する封じ込め戦略を地球全体に拡大したものである。アメリカは平時にも予防戦争遂行能力を維持するための軍事予算を投入し、同盟国との相互安全保障に基づき、基地と通信網を維持しなければならないと明記してあり、さらに軍需産業の拡大は国を富ませることにもつながるというフォレスタルの考えもあからさまに反映されている。さらに仮想敵への対応策についても詳細に言及しており、常に最悪の事態を想定して事前に戦争準備を遂行することで、アメリカ国民及び同盟国を守らなければならないとしている。

★イラク戦争にも応用されたNSC68秘密文書

わかりやすい応用例として、ブッシュ(子)大統領が遂行したイラク戦争がある。トルーマン時代の政策文書がなぜイラク戦争に関係しているのかといぶかしがるむきもあると思うが、ブッシュ時代はいわゆるネオコンと呼ばれる人々が頻繁にNSCに出入りしていた時期にあたる。ネオコンと呼ばれる人たちは、日本では全共闘世代と呼ばれる人々と同じ世代に属し、かつてベトナム反戦運動を行っていたが、その後、右傾化の考えが強まってゆき、新しい保守派という意味でのネオ・コンサーバティブと呼ばれるようになった人々である。

当時のネオコンの人々が主張していた開戦の理由はイラクが大量破壊兵器を保持しているかも知れないというものだった。イラク政府は必死になって大量破壊兵器を保持していないという証拠をかき集めて、山のようなデジタルデータを公表しているが、CIAから上がってくる報告はそれと違うものだった。

新聞記者からの質問に対して、ネオコンのひとりと目されるチェィニー副大統領は「たとえ1パーセントでもその可能性があるなら予防戦争はやむをえない」と答えている。これはNSC68に記載されている考え方そのものであり、のちにCIAの報告がでたらめだということがわかった時点で記者たちから、「アメリカは、チェィニーの1パーセント・ドクトリンに踊らされてイラク戦争を遂行した」と揶揄されている。

少しでも可能性があれば先制攻撃をして危険を除去しなければならないというこの考え方こそが、SNCが伝統的に採用してきた政策であり、私たちが学ばなければならないのは、フォレスタルの意を受けてニッツェが編み出したこの政策こそが、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争と続いたアメリカ主導の戦争のバックグラウンドになっているということである。
 
さらにニッツェは、今まで125億ドルと決められていた軍備費の上限を500億ドルまでに拡大しなければソ連の封じ込めは難しいと詳述した。頭の切れるニッツェは文書のところどころに軍備費の拡大はアメリカの経済を疲弊させるどころか、特需を生み出すことで経済的効果にも貢献することが可能であるということを示唆する文面をちりばめていた。この軍事産業による特需の考え方は、ケインズの自由経済理論を軍事の立場から補完するものとして、ネオコンも引き合いに出すようになり、新ケインズ主義とも呼ばれるようになっている。

つまり皆さんも聞きなれている新ケインズ主義という考え方は、設立されたばかりの国防総省および軍事機関の集合体であるNSCの基本文書にニッツェによって盛り込まれたことから出発しており、ブッシュ(子)大統領が開始したイラク戦争の論拠ともなっているほど、アメリカの軍事戦略に大きな影響を及ぼしてきたのである。

就任したばかりのケネディは、NSCが採っている対ソ連封じ込め戦略の数々の水耕文書に署名しながら、大きな疑問を膨らませていったのである。

続く




posted by 菅原 秀 at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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