2014年04月25日

NSCを無視したケネディ 2

今日は、2014年4月25日、昨日はオバマ大統領が安部首相と共同声明を発表し、尖閣諸島も日米集団安全保障の範囲内であることを明言した。記者団からの質問に対して、日中の問題に対して軍事行動は起こすことはなく、あくまでも平和的外交交渉による解決を目指すと述べておられていたものの、歴史はいつどう変貌するかわからない、「アメリカに見捨てられたら困る」という自民党の要請に応えて盛り込まれた文言なのだろうが、悪しき大航海時代の遺産である領土紛争の狭量な考え方を、青い地球全体から俯瞰して平和的に解決する方向を目指した文言にするといった知恵が日米双方に生まれるのには、まだ時間がかかりそうだ。

すでに日中間は数多くの進出企業を中核とした経済的きずなで強く結ばれており、国際結婚による家族もたくさん生まれている。すでに狭量な国粋主義は通用しない時代なのにもかかわらず、問題を解決する提案なしに相手を非難するだけの「提案なしの誹謗中傷行為」が多すぎる。
こうした挑発は無視して、解決の方法だけを考えるのが大人の知恵というものではないか。

そういった広い知恵を獲得することを目的として、この連載では、アメリカのNSCを素材として、なぜアメリカの軍拡路線が世界をこんなことにしてしまったのかを、引き続き考えてみよう。

★屈辱をはらすための父ジョセフの蓄財

ケネディ王朝の富を不動のものにしたのは父親ジョセフ・ケネディである。裕福なアイルランド移民の三代目としてボストンに生まれたジョセフは、どんなに努力をしても、アイルランド移民でありカトリック教徒であるという理由によって、ボストンの社交界からはシャットアウトされ続けた。

人種のモザイク社会であるアメリカは、黒人差別をはじめとしてさまざまな人種間の軋轢を抱え込んだ巨大なるつぼであるが、大統領ケネディの行動原理に大きな影を落としている原点がアイルランド移民の問題であることをとりあえず、頭においていただきたい。

さてジョセフの生まれたケネディ家は、すでにある程度の財を成していたようだか、ジョセフは自分たちが社交界からははじき出され続けてきた恥辱を晴らすためには、勉学をして出世し、さらに富を増やして世間を見かえすことが、安住の道だと考えたようである。極めてプライドの高い人物だったようだ。

そこでジョセフは、必死に勉学してハーバード大学に進み、卒業するとともにニューヨークとシカゴに拠点を置いて金融業を開始した。

当時の金融界には今でいうインサイダー取引や空売りが横行しており、才覚のある人間が短期間に大金を手にするのには絶好な環境だった。ジョセフはシカゴを拠点とするマフィア・グループと組んでタイミング良く株を売買して富を築き、造船、鉄鋼、映画、酒類販売など、次々に事業を拡大していった。

そのころのアメリカにはインサイダー取引を取り締まる法律などというものはなかったし、その汚いやり口を批判しようものなら、マファイアから命を狙われる時代だ。ジョセフは違法行為ぎりぎりの黒い金をかき集められるだけかき集めて、当時の世界最大のビルだったシカゴのマーチャンダイズ・マートビルを買い取って、世間をあっと言わせ、あれよあれよという間に東海岸一の金持ちとなったのである。


★ケネディ家の悲劇の始まり

アメリカ人はケネディ王朝を批判するときによく「フィルシー・ルーカ」(不正利得)という言葉を使う。これはジョセフが行った錬金術のことをさすが、ケネディ家の人々はこの言葉を投げかけられても反論できない。大きなジレンマとなって、今に至るまでケネディ家の人々の心を苦しめているのだ。しかし、これは時代が産んだ産物でもある。私たちは、アイルランド移民としていじめられてきた人々の気持ちを理解するという広い視野も持つ必要があるということを、ひとこと付け加えておく。

さて、ジョセフはその財力を利用して政界に進出しようとし、手始めに同じアイルランド移民であるフランクリン・ルーズベルトが大統領に立候補したときに巨額の財政支援を行っている。それが功を奏しジョセフは初代証券取引委員会委員長のポストを手に入れた。

世間からは不正利得で富を得た人物にこうしたポストを与えるのはとんでもないという批判が渦巻いたが、ルーズベルトは意に介さなかった。ルーズベルトにとっては、同じアイルランド移民の仲間であり、お前たち東部エスタブリッシュメントは自分たちを差別し続けれてきたのではないかという気持ちもあったからだ。

にもかかわらず、このポストに満足しなかったジョセフはルーズベルトに対して、財務省長官のポストを求めた。さすが元悪徳相場師を財務長官にすることは無理だったので、ルーズベルトは自分への非難を回避するために英国大使のポストを与えることにした。

英国の社交界と対等に付き合える大使の地位は、それなりに満足のゆくものだったらしい。アメリカを代表する大使であり、しかも駐在先は飛ぶ鳥をも落とす勢いで栄えた大英帝国である。英王室との交流もできるし、英国社交界からは常にゲストとして迎えられる立場である。こうしてジョセフは自分が若いころに味わったボストン社交界での屈辱も果たすことができたのである。

実のところジョセフはひそかにこの地位を利用して米英双方に人脈を作り、帰国してアメリカ大統領に打って出ることを夢見ていた。

ところがジョセフはユダヤ人を嫌っていたことから、同じくユダヤ人を嫌っていたヒトラーに理解を示し、ユダヤ人排斥の方針を打ち出していたナチスを強く支持していた。

ジョセフは新聞のインタビューで「英国はナチスと戦っているのではない、自己保存の戦いをしているのだ、英国の民主主義は死んだ」と思わずナチス擁護の本音をしゃべってしまったのである。

英米両国の国民はこの発言に怒り、ルーズベルトはジョセフを解任することで事態を収拾するしかなかった。ホワイトハウス入りを夢見たジョセフの野望はこうして自分自身の舌禍によって完全に断たれてしまったのである。
 
それにもめげず、ジョセフは自分が果たせなかった夢を長男のジョーに託そうとした、ハーバード大で優秀な成績だったジョーは、父親の夢に応えるために猛勉強して政界に入る準備をしていたが、ドイツとの戦争が勃発、海軍の特別任務に志願したジョーは特殊任務の訓練中、飛行機の爆発事故で死亡してしまったのである。

特殊任務とはドイツを攻撃するために、相手への打撃を最大にするために大量の爆弾を積んだ戦闘機のテスト飛行だった。ジョーの操縦する戦闘機の大量の爆弾が暴発し、機はこなごなに粉砕されたのである。

これは「ケネディ家の悲劇」と呼ばれる一連の事件の序章でもあった。

つづく





posted by 菅原 秀 at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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