2014年04月12日

NSCを無視したケネディ 1

 旭丘光志さんからコミック完全版劇画『J・F・ケネディ』(木本正次原作、旭丘光志劇画、少年画報社)が全国のコンビニに並んでいるよという連絡を受けた。さっそく近所のコンビニに行ったら、七〇四頁の分厚い劇画本が平積みになっていた。六四八円だったが、作画が大変な割にマンガ本というものは安いものだと思いながら買って帰り、一気に読んだ。

 旭丘光志さんは二十代で少年マガジンや少年ジャンプに数々の劇画によるドキュメント作品をものにした劇画家だ。劇画のタッチは、ゴルゴ13で有名な「さいとうたかお」さんの作風に似ているが、クールなさいとうさんの描写に対して、人物の温かさを感じさせる描写に特徴がある。

 その後、旭丘さんは作家に転じ、ドキュメント作品や統合医療に関連した書物を書き続けている。

『J・F・ケネディ』を手にして嬉しくなった私は旭丘さんに「この機会に劇画家として再デビューしてくださいよ」と言ったところ、「あんな徹夜続きの大変な世界はもういやだね」と笑っておられた。

 新装なったこの『J・F・ケネディ』は、ケネディの暗殺の六年後、徹底的な取材を行った元毎日新聞記者で、作家として『黒部の太陽』などのドキュメンタリー小説を発表していた木本正次さんの原作をベースとしたものだ。旭丘さんの仕事ぶりを知っている私には想像がつくのだが、連日のようにふたりで膝をつきあわせて、当時入手できたあらゆる資料をかき集めて制作したと思う。インターネットのない時代のこと、資料集めは大変な作業だったろう。

 アメリカで仕事をしたときに、米国議会図書館に通ってアメリカ史を多少かじったことのある私なので、この劇画が描く史実の正確さには舌を巻く。劇画で読めるケネディの伝記としてぜひ手元にそなえていただきたい。

★NSCの助言を拒否したケネディ大統領 
 
 さて日本政府は2013年1月に、国家安全保障会議を発足させた。日本版NSCと呼ばれているとおり、アメリカ大統領の軍事諮問機関として機能しているNSCをモデルとしたものである。
 しかし、アメリカのNSCはどんな機能を持ち、何を行ってきたかについて、一般の日本人にはほとんど知られていない。そこで、「NSCとは何か」ということについて、連続して解説することにする。

 私は旭丘さんの劇画を手にしたとたんに、脳裏に浮かんだのは、「ケネディはNSCの助言を無視することにした始めての大統領である」という事実である。

トルーマン大統領時代に生まれたNSCは、シビリアン・コントロールによって国家の安全を守るという理念のもとに生まれたものであるが、はたしてアメリカの国防にどれだけ役立ったのだろうか。むしろ世界各地で戦争を引き起こし、途上国の人々を苦しめ続けてきたのではないか。

 本土攻撃の経験のないアメリカにとって、NSCは「念には念を入れて」という考えのもとに作られた機関であった。しかしこの機関は今まで一度も本土防衛のために機能したことはなく、すべて外国での戦争を行う機関として機能してきたのである。

史上最年少の若さで大統領となったジョン・ケネディは、学生時代から平等を標榜しながら平気で黒人差別を容認し続けるアメリカのやり方に反抗してきた人物である。公民権運動のリーダー、マーチン・ルーサー・キングJrが座り込みで逮捕された時は、大統領選の真っ最中だったが、キング師夫人に電話して励ますと同時に、釈放のために奔走している。公民権運動を旗印にした初めての大統領でもある。
 
大統領就任直後は、右も左もわからずに、国の行方を左右するNSCの各メンバー機関の助言に従っていたが、その助言が机上の軍事戦略に過ぎないことに気づくや否や、NSCとは一線を画すようになり、以後一切、NSC会議を招集していない。
 
きっかけは1961年のCIA主導によるキューバのピッグズ湾事件だった。当時のNSCでは、飛ぶ鳥を落とすような勢いで反響スパイ工作を行っていたCIAが幅を利かせていた。CIAはキューバの共産化阻止を目的として、亡命キューバ人多数に軍事訓練をほどこし、2千人ほどの傭兵を組織した。この傭兵をキューバのピッグズ湾から密かに上陸させたのである。
 
しかしこの作戦は、20万のキューバ正規軍によって壊滅されて見事に失敗。アメリカの正体を見たカストロをソ連に急接近させることとなったのである。
 
初めてNSCの御前会議の議長としてピッグズ湾上陸作戦を承認してしまったケネディはこの失敗を深く反省すると同時に、以後一切NSC会議を開催しないことを決のこと意した。

 その一方、カストロの愁眉に気を良くしたソ連は、共産圏の仲間になってくれたカストロに大きなプレゼントをすることにした。いつアメリカによって第二のピッグズ湾事件が引き起こされるかも知れないので、キューバは軍備を拡張して襲撃に備える必要があった。しかし、サトウキビ産業のほか、さしたる資源を持たないキューバにとって軍拡は、大変な負担であった。それを見越したソ連は、キューバに空軍基地を贈与したのである。
 
 いち早く空軍基地建設をキャッチした各諜報機関は、ケネディ大統領に対し、急遽NSCを招聘して、キューバ攻撃の作戦を行うよう進言した。何せ、キューバはアメリカ本土のフロリダからわずか145キロしか離れていない。NSCを構成する国防省や、国務省、さらにCIAをはじめとする諜報機関はいきり立っていた。 

 しかし、ケネディは、NSCの進言を一切無視し、ホワイトハウスの執務室に籠もって、NSCのメンバーたちには想像もできないような作業を行っていたのである。

 もしケネディがNSCを召集していたら、コトは第三次世界大戦に発展したかも知れない。NSCのメンバーたちはキューバ攻撃を強く求めいた。キューバ攻撃が遂行されればどうなるか? 当然、ソ連が動くこととなる。そうなればどちらかの首脳が原子爆弾のスイッチを押すこととなるかも知れない恐ろしい賭けだ。

 ケネディはそのことの恐ろしさを明確に自覚していた。自覚していたからこそ、NSC
の進言を無視したのである。

つづく

 

posted by 菅原 秀 at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 民主主義とは何だろう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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