2013年08月20日

ビルマ(ミャンマー)へのビジネス進出の条件(上)

先日、ジャーナリストのバーティル・リントナー氏から「ぼくの本がヤンゴン市内で売られているよ」という連絡があった。ヤンゴン市内の露天商がニコニコしながら、雑誌や新聞と一緒に、リントナーの本を並べて売っている写真が添えられていた。時代は明らかに変わっている。
 現在、ミャンマーの国会では検閲に関する法律の改正について、活発な議論が行われている。テインセインとアウンサンスーチーの二人三脚体制は、保守派に何度も押し戻されながらも、少しずつ進展している。しかしながらUSDA(連邦団結発展協会)が国会議席の多数を占める現状は、極めて不安定であることをしっかりと把握せずに、ミャンマー進出を考えるのは、いささか性急である。
ピルマ(ミャンマー)事情の基本をしっかり把握して、カントリーリスクを最小限に抑えるために、私のメルマガやブログに時折、目を通して欲しい。
  ここしばらく家族の看病で、何もできない状態が続いて、発行が遅れていたことをお詫びしたい。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■まだ早いミャンマーでのビジネス

ミャンマー(ビルマ)が26年ぶりに軍事独裁から民主化路線への舵取りを行うことになった立役者は、民主化のシンボル、アウンサンスーチーではなく、軍事組織を支える側から大統領に選ばれたテインセインだった。
 
 軍政の側に密かに芽生えていた良識が、ミャンマーの再生にとって民主化が必要であると認識していた結果ではあるものの、今回の民主化はあくまでも、長年にわたってビルマ国民を苦しめてきた軍事政権の側から提起されたものであるということをしっかりと見すえない限り、この国との友好関係を強固なものとすることで出来ない。いや、出来ないどころか、1990年代に経団連がリードして大失敗をした対ミャンマー投資の二の舞になりかねないのである。

 とはいえ、四半世紀にわたって続いてきたミャンマーの鉄の支配が、テインセインという良識派の出現によって明るい兆しを見せているこのチャンスを逃す手はない。長年にわたって幽閉状態に耐えてきたアウンサンスーチーも、国政に参加するだけでなく、欧米に出国することも出来るようになり、テインセイン大統領とも頻繁に連絡しあっているようで、今までとは比較にならないほど風通しが良くなっているからだ。
 
 テインセイン大統領は、元ビルマ軍大将で、軍ではナンバー4の地位だった人だ。一昨年に国家元首(大統領)を引退したタンシュエ上級大将の忠実な部下であり、タンシュエ自身が引退するにあたって後継者として指名されている。

 ミャンマー軍政には汚職がつきもので、多くの幹部が汚職の罪で失脚してきた。テインセインはそうした汚職には一切手をそめて来なかったといわれ、軍内部でも国民からもクリーンなイメージを持たれており、非難されることがなかったことも強みである。
 鉄の支配を貫徹し続けたタンシュエは強硬派として悪名が高かったので、イエスマンであるテインセインも、今までの強引な弾圧を継続するのではないかと思われたが、大統領に就任すると同時に住民が反対している巨大ダム、ミッソン・ダムの建設停止を打ち出し、ビルマ国民だけでなく国際社会からも驚きの目で見られることになった。

 その後テインセインは矢継ぎ早に、メディアの自由化、少数民族反政府勢力との対話、アウンサンスーチーとの対話、国際社会への参加表明、政治囚の一部釈放などに着手し、「軍事政権はどうも本気で民主化の方向を歩もうとしているのではないか」という観測が生まれるようになった。

■欧米諸国は懐疑的

 とはいうものの、国際社会がテインセインの改革を素直に信じるのは無理な話である。この四半世紀の民衆抑圧の歴史があまねく知られていたからだ。したがって、今までの軍事政権が一気に民主化への道を歩んでゆくだろうという考えには懐疑的にならざるを得ないのである。
 
 ご承知のようにアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)は1990年に行われたビルマの国民議会総選挙で8割を超える圧倒的な議席を確保し、ビルマの民主化は一気に進むと思われた。しかしその後、ビルマ軍はこの選挙結果を無視し、違法なクーデター状態を続行し、当選した国会議員の大部分を逮捕または幽閉し、全土を掌握してしまった。

 さらに国民に問うこともなく、今まで使われていたビルマという国名を、ミャンマーとし国際社会に対し、国名の変更を通知した。

 ミャンマーという国名はもともと、この国で使われていた呼び名であり、ビルマと同義語の古い言い方に過ぎない。いわば日本を大和と呼びかえるようなもので、国民にとっては大きな違和感がなかったようだ。しかし、議会手続による国名変更を経ることなく、クーデターで政権を掌握したのち自らも暫定政権を標榜していた側が、勝手に国名を変更したことから、欧米各国はミャンマーという呼び変えにとまどい、日本が先進国の中ではいち早くこの呼称を受け入れたものの、それ以外の先進各国はビルマの呼称に固執し続けてきた。

 アメリカやヨーロッパ諸国は、ビルマ人亡命民主活動家を積極的に支援し、世界各地で国際会議を開いてビルマ軍事政権を孤立化させるために、経済制裁を持続した。ビルマ軍事政権にはあまり厳しい態度をとらずに、比較的親しい間柄を維持しようとする日本に対しても、欧米は圧力をかけ続けた。その結果、日本政府はヤンゴン空港の整備支援やバルーチャンダムの修復支援などを行ったものの、その後の援助は福祉や農村開発などに限定した草の根援助レベルにとどまることを余儀なくされた。


■日本の対ビルマ支援は上から目線である

 日本の支援の形が国際的に強く批判された極め付きは、ヤンゴン総合病院に対する高額な医療機器の支援だった。

 自宅幽閉を解かれたばかりのアウンサンスーチーが日本政府の支援に対し、「この病院は誰のための病院ですか?ビルマ市民はシャットアウトされ、医療の恩恵を受けることが出来るのは軍事政権の幹部だけ。日本政府は、エリートのためだけの病院に国民の血税をつぎ込もうとしているのです」

 実のところ1988年の反政府デモの際に、このヤンゴン総合病院で数多くの民主活動家が軍隊に襲撃されて命を落としたという、いやな思い出があり、アウンサンスーチーにとってもそうした場所へいち早く支援を再開する日本政府に対して、昔の事実を見据えてほしいという気持ちがあったのかも知れない。

 アウンサンスーチーからのこうした率直な批判を受けてしまった日本政府は、一時は経団連のミッションを送るなどして軍事政権との経済交流を図ろうとしたものの、欧米の圧力に徐々に屈せざるを得なくなっていったのである。
 その後、ビルマの経済支援を行う国は、中国、北朝鮮、隣国タイなど、ごく少数の国々に限られねることになり、国際社会から嫌われた軍事政権の下、ビルマの人々は自由が訪れることを望み続けながら、苦しい経済生活に耐え続けてきた。

■ついにオバマが訪問した

 そんな状況を一番良く観察していたのはアメリカだが、そのアメリカのオバマ大統領が、昨年11月にミャンマーを訪れた。アメリカ大統領としては初のミャンマー訪問であり、テインセイン大統領の民主化政策を評価し、さらに必要な支援を表明するためのものであった。

 それに先立ち米国務省は03年に開始した経済制裁を、一部の事案を除いては解除すると発表した。

 一部の思案と言うのは、ビルマ軍事政権の資金源とされていたルビーや翡翠などの宝石類の対米輸出である。ビルマの宝石の利権は軍事政権が確立されて以来、軍の幹部によって独占されており、独裁者として長いことビルマを支配したネウィンの娘サンダウィンが、宝石貿易全体をコントロールする中心人物だとされている。

 制裁によって繊維製品の輸出などが出来なくなったビルマの産業は大打撃を受けたのだが、宝石貿易以外は解除されるとのことで、事実上、経済制裁の全面的解除といって差し支えないであろう。
 さらに国務省は、経済制裁の解除と引き換えに、北朝鮮との関係断絶、少数民族反政府勢力との和解、腐敗の一掃などの一連の改革を迫っている。

 オバマ大統領はこの国の呼称についても、今までビルマ一辺倒で通してきたアメリカの態度を軟化させ「ビルマでもミャでンマーでもどちらでも良い」と述べている。

 ヤンゴン大学での講演の冒頭では「ミャンマー、ナインガン、ミンガラーバ」(ミャンマー国のみなさん、こんにちは)とビルマ語で挨拶し、今回の訪問の理由について次のように述べている。

「私は就任演説の中で、民衆を抑圧する政権が、そのこぶしを少しでも緩めるなら、民主化のために手をさし伸べると語っています。私がアメリカ大統領として始めてこの国にやってきたのは、支援の手を差し伸べると述べた約束を果たすためです」
と語りながら、民主主義の条件について詳しい演説をおこなっている。
  オバマ大統領のミャンマー訪問に関して、アウンサンスーチーは躊躇し、アメリカ国務省に対して時期尚早であると申し入れたとのことである。また在米の民主化グループ代表のアウンディン氏も、ホワイトハウスに書簡を送り、時期を延ばしてくれるように要請している。

 今、ミャンマーへの制裁解除に踏み切れば、もし民主化の動きが後退したときに取っておけるカードがなくなってしまう懸念からだ。

 しかし就任二期目のオバマ大統領にとっては、オバマ外交の成功例を国際的にアピールする絶好のチャンスだったことと、ミャンマーと親密な関係にある中国をけん制し、民主化に対するアメリカの取り組みが中国とは違うものであることを強調するためは、どうしても必要な訪問であるとアウンサンスーチーを説得し、実現にこぎつけたのである。

 報道ではオバマ大統領がアウンサンスーチーを抱きしめ、頬にキスをする場面が何度も放映されたが、スーチーの心の本音は、あくまでも今回のミャンマー訪問に対しは、懐疑的気持ちを持っていることが、キスを受けてはずかしそうにしているその表情からも伺える。(続く)      初出 2013年3月 月刊「公評」


posted by 菅原 秀 at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | アジア基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/372507718

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。