2013年04月23日

イチゴに秘められた平和を生み出すパワー

イチゴの季節が大好きだ。特に私が好きなのはここ10年ほどスーパーの店頭販売の大分を占める「とつおとめ」や「あまおう」などの大粒の甘いイチゴだが、昔から栽培されてきた比較的小粒なイチゴの甘酸っぱさも好きだ。イチゴには不思議なパワーが秘められているようだ。イチゴには人と人との関係を和ませる働きがあるように思えるのだ。今回のエッセーは、中東和平を生み出したイチゴのパワーにまつわる話だ。
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■難解な交渉の入り口を開いたノルウェーの努力

パレスチナ問題は、いまだに中東の火種になりかねない状態が続いているが、1993年9月、ワシントンにイスラエルとパレスチナの代表が集い、クリントン大統領の立会いのもと和平の道筋を示す合意書のサインが行われた。
日本から参加したのは当時の羽田孜外務大臣。それにごく少人数の外務事務官に過ぎなかったので、とのイベントのすごさを実感した人ごく少ない。
しかし、世界の首脳がワシントンに集まり、固唾をのんでこの調印式を見守っている場に参加するチャンスを得て、このイベントの印象は羽田さんの脳裏に深く刻み込まれることになった。
 その後、私は平和醸成の仕組みを作るために、各政党の議員に呼びかけて日本に民主化支援機構を作る運動を開始することになった。この夢はいまだに実現していないのだが、羽田さんは国会議員が党派を越えて結束するために、運動開始の時点から大きなパワーを発揮してくださった。
「ワシントンでの現場を見てボクはわかったよ。敵同士でも話し合いによって解決する道があるということを。こうしたことをノルウェーやアメリカにばかり任せていてはいけない。日本もすぐ参画しなければ」
そういって、自民党から共産党にいたるまで、すべての党派が結束して民主化支援機構を作るように声をかけ、2001年にはすべての政党が参加したシンポジウムを行うことができた。シンポジウムで超党派の協力による方向性は生まれたものの、財源を確保する目途が立たないことから、残念ながら日本のこの分野での国際参加はいまだに実現していない。
 さて、羽田さんをそこまで突き動かしたワシントン和平の道筋を生み出したのは、ノルウェーの官民の連携による交渉だった。
 そしてその交渉が決裂に至る寸前に、それを修復したのがノルウェーの交渉の現場の裏庭で栽培されていたイチゴだった。

■ノルウェーが双方に与えたものは

当時のイスラエルとパレスチナには双方が敵対していただけではなく、敵とお互いに話し合うことを行えば利敵行為とみなされ、重罰に処すという国内法があった。
従って双方の心ある関係者が和平のための努力をすることは不可能だった。
打開のアイデアを思いついたのがノルウェーのシンクタンクの所長だったテリエ・ラーセンだった。幸いにもラーセンは、イスラエル、パレスチナ双方の政策決定者とコンタクトできる立場にいた。
ラーセンは考えた。
「秘密裏に双方の代表をノルウェーに招いて、和平交渉の道筋を作り、国際的な場での調印に持ち込もう」
 幸いにもラーセンの妻は外務省の職員であり、外務大臣と直接話ができる立場にいた。
ごく一部の外務省幹部だけに事実を伝え、ひそかに双方の代表をノルウェーに招く工作はこうして始まった。もちろん、警察や入管、あるいはマスコミに嗅ぎ付けられれば交渉が行えないだけでなく、ラーセンとコンタクトした双方の関係者は重罪に処せられることになる。外務大臣とモナそれにごく少数の関係者だけが知るこの交渉の舞台は、オスロから数十キロ離れた場所に設定された。昔、ノルウェー王室が使っていた別荘を借りて、時間をかけた話し合いが開始された。
のっけから双方の、ののしり合いが開始された。ラーセンは興奮しながら相手の悪口をこぼしてくる双方の代表者の不満の気持ちのはけ口になることだけに意識を集中し、交渉内容への介入は一切行わなかった。
 別荘に閉じ込められた双方の交渉代表にとっての慰めは、別荘の料理人による手料理だった。
 双方の激論は連日深夜まで続いた。コーヒーとタバコの煙の中で複雑な議論とののしり合いが延々と続く。それを慰めたのがノルウェー側のもてなしの手料理と上質なワインだった。

■イチゴが打開の道を開いた

 王室の別荘での会議は、その都度双方が自国に持ち帰って検討するということが繰りかえされた。数回目の会議の場所は別荘の改修のためにマナハウスという名の別な別荘に設定された。
 そこでも連日、話し合いは険悪なムードが続き、ラーセンは双方のはけ口としての聞き役にまわり続けた。
 ある日、オスロの仕事を終えて着かれきったラーセンが別荘にたどり着くと、夕食の席には双方の笑い声とジョーク飛び交っていた。
 このときの様子は「ノルウェー秘密工作」という本に描写されている。

オーナー夫妻は実に親切で、夕食のときはウェートレスと執事の役を務めた。そして二人が雇ったシェフが、サケ、マスその他の魚をレモン、ワイン、クリームを加えて約ノルウェー風の豪華料理を作った。デザートには、かごに何杯ものイチゴが出だ。客たちはなんと8キロものイチゴを胃袋に詰め込んだ。そのうち5キロ以上をヒルシュフェルドが一人だ平らげた。

 イスラエル側の学者であるヒルシュフェルドは、おいしいイチゴで心を和ませ、一気にパレスチナ側の交渉ポイントの打開点を見つけ出し、この日の交渉に臨んだ。やっと会議には笑いとジョークがもたらされた。

イチゴに秘められたバイブレーションこそが、あの和平交渉を打開する力だったのではないか、私はイチゴを食べるといつもこのエピソードを思い出す。 
 
posted by 菅原 秀 at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 涙は止まるか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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