2006年11月19日

モハメッドの漫画の隠された意味 (3) 

■神でないものを神にするメカニズム

 さて私は、少しでもイスラム教の文化的背景を知るために、海外取材でムスリムに出会うたびに、イスラム教への疑問を問いかけることにしている。
「なぜ豚肉を食べないのか」「なぜ偶像礼拝はいけないのか」「なぜ聖戦なるものがあるのか」。彼らはこうした問いかけが大好きだ。微笑みながら答えてくれる。私が出会う相手はジャーナリストや政治家が多いのだが、時にはイマーム(聖職者)を紹介してもらうこともある。

 ムスリムは皆コーランに書かれていることを字づらどおりに金科玉条として生きているのだと思われているが、こうした質問をすると、多様な答えが返ってくるので面白い。

 偶像礼拝に関する質問への彼らの答は、おおむね次のように要約できる。

1、神とは目に見えない偉大な存在であり、偶像で現すことは不可能である。それを偶像で現そうとするのは神への冒涜である。

2、偶像は神を想像して拝むための手段として発明されたものである。しかし、そのために偶像を取り入れてしまうと、偶像を拝むことが目的化されてしまい、教会組織運営の手段となってしまう。モハメッドの時代、キリスト教会は組織拡大の手段としてマリア像を拝む「マリア信仰」を用いていた。モハメッドは「マリア信仰」による教会の堕落を看破し、そうした偶像礼拝を禁じたのである。

3、キリストやモハメッドは預言者である。預言者の像や写真を拝むことは、神への冒涜であるだけでなく、預言者を絶対化して盲信することになり、別の新興宗教を産み出してしまう。あるいは、それによって生じた教条主義やセクト主義によって信仰全体がゆがめられてしまう。

4、偶像は物である。偶像礼拝は物を賛美することであり、人々の心を破壊し、文明を破壊する。経済至上主義という拝金主義は典型的な偶像礼拝の症状である。

 さて、これらを踏まえたうえで、具体的なわかりやすい例を述べよう。

 1995年にオウム真理教の麻原彰晃らが逮捕されたときのテレビ画面を思い出していただきたい。

 頭にヘッドギアをかぶった白装束の信者達。サティアンと呼ばれた異様な建物の群れ。それらの建物内に貼ってあったおびただしい数の麻原彰晃の顔写真。

 評論家達はしきりに、信者達がサブリミナル効果や薬物によって「洗脳」れていることを指摘した。しかし、サブリミナル効果以上に、信者達の心をだめにしていたのが偶像礼拝による催眠効果なのである。

 信者達は麻原が説く教えのいずれかに興味を持ってこの教団に入った。そこに待っていたのは、麻原をあたかも神のごとく敬う世界だった。麻原を頂点とした意味不明のヒエラルキー(階層)の階段を上る修行システムだった。

 こうしたシステムは信者の判断力を奪い、「盲信」というメカニズムを発生させる。

 信者達は、組織の頂点に君臨しているこの男を、「最高の悟りに達した存在だ」と勘違いして、一歩でもそこに近づくために、壁にベタベタとこの男の写真を貼り、毎日拝み続けていたのである。

 評論家達はサブリミナル効果と考えているが、サブリミナルは条件反射を導くだけで「盲信」を発生させることはできない。信者自身が自分の意思で偶像礼拝の世界に飛び込むことで「盲信」が生まれるのである。

 映像文化が発展した現代社会では、偶像礼拝の初歩的な症状を容易に観察できる。テレビスターの「追っかけ」がその典型である。つまり、スター願望という催眠現象である。

 人は、地位の高い人や、有名な人の目前に行くと、あがってしまい、いいたいことも言えなくなりがちだ。つまり、知らず知らずに自分自身を相手よりも低い人間だと自己催眠をかけてしまった結果なのである。

「自分はそんなことはない」と言うむきも多いと思うが、いざ自分が入ったレストランの隣の席に、日頃テレビでよく観ている有名人が座っていたら、舞い上がってしまうのが人情であろう。つまりブラウン管の向こうの人は「特殊な人」で、自分を「普通の人」と考える思考が、社会的身分にまつわる自己催眠なのである。

 問題なのは、教祖になりたがる人よりも、自分を低い存在と考えて自己催眠にかかってしまう人の数が圧倒的に多いことである。

 あのヨン様を追いかける中年女性の群れを見ただけでも、私たちは肝を潰してしまうが、宗教団体に集まって偶像礼拝をする人々の「追っかけ」のエネルギーは、ヨン様「追っかけ」の物の比ではない。誰にも止められない怖さがある。

 オウム真理教の捜査のあと、警察庁の幹部からこういう言葉を聞いた。

「オウム真理教壊滅のために全国の警察官5万人を約一年間投入しなければなりませんでした。全警察官の3分の1以上の数です。そのためにどこの警察署でも仕事の量が増えて、過労死した仲間もいるほどです。たかだか信者数1万人の団体の取り締まりに対して、警察力の限界ぎりぎりでやっと対応できたと言うのが実情です。つまり、これ以上大きな不法集団が出現したら、日本の警察力では対応できないと言うことが、はっきりとわかったのです」

 オウム真理教のような小さな教団ですら、偶像礼拝のメカニズムを利用して、これだけ大きなインパクトを与えるのである。

 モハメッドはそのことを良く知っていたからこそ、偶像礼拝に対してはことのほか厳しく禁じているのである。

 そして全世界のムスリムは、モハメッドが説いた偶像礼拝の禁を堅く守り、モハメッドの肖像画も一切作ることなく、神への祈りを捧げ続けているのである。

■教条主義を生む偶像礼拝

 人間はあくまでも人間であり、等しく与えられている法則から逃れることは出来ない。悟りを得たから人間でないとか、奴隷であるから人間でないなどということは、まったくありえないことである。

 しかし、怪しげな宗教にそまって教祖を盲信してしまっている人は、その当たり前の道理を否定して、教祖を神にしてみたり、物質を御神体と呼んで神にしたりという偶像礼拝を開始する。

 この偶像礼拝は人間の心を荒廃させるだけではない。ドグマチズム(教条主義)を生み出し、セクショナリズムという社会的害毒を肥大させてしまうのである。

 このセクショナリズムのエネルギーというのは、とても大きいもので、いったん生まれると消し去ることができない。

 日本人の私たちにとっても分かりやすい例として仏教の例をあげよう。

 曹洞宗の開祖の道元は「正法眼蔵」の中で次のように語っている。

「釈迦の仏法を禅宗とか曹洞宗とか呼ぶのはあやまりである。その証拠に釈迦の時代には禅宗とか曹洞宗という名称はなかった。釈迦の正法をこういうふうに言うのは、悪魔の言うことであり、正法を受け継いだものの言うべきことではない」

 おそらく開祖が書いたこの文章を知らない曹洞宗の僧侶は皆無であろう。しかし、彼らが曹洞宗という名前を廃止する運動を起こしたことなど聞いたことがない。

 開祖に言わせれば現在の曹洞宗の僧侶たちは悪魔の正法を恭しく捧げている集団ということになる。いったんセクショナリズムが生まれてしまえば、消し去ることができなくなる。曹洞宗をその一例としてぜひ記憶しておいていただきたい。

 マホメットはカーバ神殿を奪還したのち、あらゆる偶像や屋台を放り出し、何もない純粋な祈りの場に生まれかわらせた。そして、それは今でも続いている。

 フレミング・ローズは、漫画を発表することで、良いムスリムと悪いムスリムを峻別する表現の自由を駆使したと思い込んだ。しかし、偶像礼拝のメカニズムを知らなかったために、イスラム教が依拠する信仰そのものを否定するというとんでもない過ちを犯してしまったのである。そして、本人はまったく気づいていないようであるが、その過ちは同時にキリスト教の否定でもあり、神そのものの否定にもつながっているのである。

posted by 菅原 秀 at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 涙は止まるか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/27813949

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。