2005年02月12日

アジアの言語と報道(2)

▼名前を呼ぶ風習も大違い

また、中国人の場合、姓と名前がワンセットになっている。日本のような家族制度がないので、「王さんが」とか「黄は語った」などの表現は、名前の特定度が稀薄になってしまう。
各社の中国在留特派員は、中国人の名前を姓名で打電してくる。「周氏が……」などという風に直すのは外信部のデスクか整理部の記者である。現場を見ていない人間はもっと現場を尊重すべきである。

つまり周恩来の両親は、息子に向かって「チョウ・エンライ!ライ.バ」(周恩来!こっちに来なさい)と呼んでいるのだ。家族ですら名前を単独で呼ぶ風習はあまりない点に注目していただきたい。

名前だけ呼ばれるのは幼児の場合や、兄弟同士、あるいは恋人同士などで、親がちゃんと子を呼ぶ場合は、姓名一緒である。
文化大革命の時代も毛沢東(マオ・ツォトン)同志と呼ぶことがあっても、毛同志と呼ぶことはなかった。これは中国文化理解の上で注意すべき要素である。
日本式に言えば、中国は夫婦別姓である。つまり姓と名の組み合わせが個人を特定するのである。大事なことは姓の概念は、日本の氏(うじ)制度とはまったく異なった物だということである。

世界各国の氏名制度のほとんどは「父○○の子供」、「母○○の子供」と言う組み合わせが多い。そこで、ミドルネームという表記が生まれたりする。
中国が氏名をワンセットとしてとらえるのに対し、モンゴルなどは、氏のほうは単に父の名前を意味する記号であり、本人を特定して呼ぶ場合は下の名前だけとなっている。またビルマなどは、前述したように姓の概念がなく、ひとりひとりの個人が占星術に基づいた独立した名前を持つという変わったシステムになっている。
結婚して相手の氏に入るシステムを持っているのは、日本だけだと考えたほうが、間違いを犯さないで済むようだ。

さらに蛇足ながら、戸籍制度は日本にしかない。朝鮮にもあると主張する人もいるが、日本が侵略した時に創氏改名政策が失敗したという史実ひとつを検討しただけで、そういう考え方はナンセンスであることが証明できるであろう。
日本人なのだから「しゅう・おんらい」でいいのではないか?という意見は多いようだ。しかし、この方法を採用する限り、日本語以外の言語に移しかえる時にまったく対応でき
なくなってしまうのである。あ<までも、国際情報にすばやく対応するためには、「アジアの言語と報道1」で述べたように、トーマス・ウェード式に憤れておいたほうが便利なのである。

在日している中国人民主活動家、趨南(ツァオ・ナン)さんが、東京地裁で日本への亡命を否定された時のことだ。

外国人特派員協会での記者会見の英語の通訳は、趨南さんの中国語を日本語に通訳し、さらに別の人が英語にするという二重通訳だったのでZhao Nanという彼の中国名を知らずに、チョーナンと発音した。英語のわからない当人の趨南さんはそれをチェックできなかった。
その結果、一部の日本人記者の手による英語紙にChou Nanと表記された。
英語のわかる中国人がこの記事を読んでも、誰のことを指しているか判断できない。Zhao Nanと書けば、「ああ『北京の春』事件に関連した民主活動家だな」とすぐに連想されるはずであるのだが。

たとえめんどうであっても、マスコミがこの原則、つまり漢字・カタカナ併記を採用すれば、中国語や韓国・朝鮮語固有名詞に対する機動力が増し、対外惰報交換のときに底力を発揮できるようになるのではないか。

▼中国側が日本語表記を採用するのは不可能

「それなら中国人も日本語を、東京(トンジン)、田中(ディェンツォン)などと発音せずに、『とうきょう』『たなか』という風にすべきだ」という意見も多い。しかしそれは不可能である。

中国語はすべてを漢字で表記する言語であり、日本語のようにひらがなやカタカナがない。さらに「とうきょう」や「たなか」に対応する発音や漢字がないのである。
無理に漢字をあてはめたとしても、「ターウーチョウ」「ダーネイグー」など日本語からかなりずれた発音しかできない結果になってしまう。それでは、せっかく日本語的な発音を採用した意味がなくなってしまう。
つまり英語のvfrを正確に日本語で表記できないのと同様、日本語のか、き、け、こ、さ、せ、て、と、ぬ、の、む、め、ゆ、などに対応する発音や漢字が中国語にはないの
で、日本語への対応が難しいのだ。

例えば、はやりのカラオケも中国語では、「カーラーオウケイ」という風に発音されている。
台湾に行った時のことだ。カーラーオウケイ・クラブにいた現地の女性が、
「私は日本の歌手ではバタヤキが一番好きです」
といっていた。バタヤキなどというバンドは聞いたことがないので、漢字で書いてもらったところ八代亜紀だった。彼女のファンにとってはバタヤキと呼ばれるのは心外だろうが、中国語での彼女の漢字の名前から連想するイメージは非常に印象がいいそうである。

「やしろあき」と聞こえるように、「牙西洛阿葵」などと漢字で表記する努力をしてみたが不可能だった。
「変な名前ねえ」
と苦笑する台湾人の彼女に、八代亜紀の発音を正確に伝えるすべがない私は、一緒に苦笑するしかなかった。

中国では何種類かの外来語辞典が発行されているが、どれも統一されておらず、外国語を取り入れる際の混乱がうかがい知れる。しかし、新たな方法論が工夫されてゆくことは確実である。考えられるのはヨーロッパなどのような多重表記が常識化してゆくことだろう。
中国の地名や人名を報道するのに、今のまま漢字の日本語読みを続ければ、日本のマスコミは中国の国際化に比例して、さらに多くの困難に直面するに違いない。 了

(c)2005加筆、菅原 秀 初出「公評」1997年9月号
         


posted by 菅原 秀 at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | アジア基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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