2010年04月04日

外務省の邦人保護能力への大きな疑問

■邦人保護のノウハウと外務省

アフガニスタンで日本人ジャーナリスト常岡浩介さんが何者かに誘拐されたらしいというニュースが届いた。日本の外務省は邦人救出のノウハウをほとんど持っていない上に、マスコミも無節操にどんどん取材合戦を繰り返して人命を危険にさらす傾向が強い。特に人質事件の場合には現地の事情に詳しい交渉人を、マスコミの動きを抑えながら、早急に送り込むというロー・プロファイルな技術の確立を急がなければならない。これが、日本にはまったくないので、今後が心配だ。

そうした中、先月27日にアフガニスタンから戻ってきた中田孝同志社大学教授が4月2日にtwitterを通じて次のように発言している。

常岡氏がタリバン支配地に入る前に、タリバン側から、「我々の方では貴兄が来ることに問題はないが、我々と接触したことが分ると、アメリカとアフガニスタン政府の諜報員にタリバンの犯行に見せかけて殺害されることが心配だ」との連絡があり、それでも敢えて行く、ということで彼は出発しました。

中田氏のTwitterによる発言によって、安直にタリバン犯行説に結び付けようとする世論をある程度抑制することに成功している。アフガニスタンにはタリバンだけでなく、アルカイダやアフガン政府関係者などを含むさまざまな武装グループが跋扈しており、身代金目的や、宿敵を陥れるための目的など、外国人を虎視眈々と狙っているのである。タリバン犯行説のようなものが一人歩きすれば、アフガニスタンの今後の和平にとってマイナスにしかならない。そうした複雑な事情を知らしめる上で、中田氏のtweetのタイミングは適切だった。

しかし、通信社からの情報がリレーされる間にタリバン犯行説が独り歩きする可能性はまだまだある。4月3日にはフランスのAFP通信の配信を受けたオーストラリア・メルボルンの有力紙「ジ・エイジ」が、「タリバン、日本人ジャーナリストを誘拐」という見出しをつけて発表している。AFPの配信記事にはタリバンが誘拐したとは一言も書かかれていないのだが、「ジ・エイジ」の編集部が勝手に先入観に基づく見出しをつけてしまったのだ。

従って私たちは、今回の件に関して、とにかくマスコミが先入観を持った報道をしないようにウォッチし続け、「ジ・エイジ」のような誤報が生まれれば、いち早くチェックして担当者にそれを訂正させるといった市民レベルの努力が必要である。

■イラク人質事件の教訓を思い出そう

その意味で、2004年のイラクでの人質事件のときの実情を振り返ることは重要なことである。あの時点では、実行犯を刺激するような事態が起きることを憂慮した市民団体のメンバーたちが、フランスにいたイラク人たちのネットワークとコンタクトして、いち早く犯人と接触し、3人がイラク人の敵ではないことを伝えると同時に、解放交渉を行った。

その一方で川口外務大臣(当時)は、事情を把握していないいもかかわらず、「自衛隊を撤退しない」という犯人側を刺激する発表をしてしまい、3人の命を危険にさらしている。今後の教訓として、当時、何があったのかを振り返って見ることにしたい。以下の文章は、当時私が翻訳仲間と一緒にイラク戦争のウォッチ作業をしていたときに作った本のあとがきとして書いた文章である。それに若干の加筆をしたものである。

2004年4月8日に人質事件のニュースが飛び込んできたとき私の頭に浮かんだのは.「このままでは3人は殺されてしまう。なんとかしなければ」という気持ちだった。というのは、外務省はこういうときは何もしないということをいやというほど知っていたからだ。外務省がらみのいくつかの事件が頭をよぎった。

ひとつは、1985年のボスニアに住んでいたリビチ郁子さんが、ジャーナリスト水口康成さんによって救出されたとき外務省がとった態度だった。当時の外務省は、なんの救出活動もしなかったどころか、リビチ郁子さんと水口さんの命を危険にさらし、さらに「感謝状を書け」という要請すらしていたのである。参照:『ボスニア戦記』水口康成著、三一書房。

もうひとつは、1998年にタジキスタンで秋野豊さんが殺害された事件だ。彼は、外務省から国連タジキスタン監視団(UNMOT)の仕事を引きうける人を探すように頼まれていた。電話をかけてきた秋野さんに私は答えた。

「死にたくないよ。そんなに必要なら外務省の職員に行くように突き返したら?」

しかし、外務省から行く人はいなかったので、秋野さんは悩んだ末、自分自身でこの仕事を引き受け、悲惨な結末を迎えることになってしまったのである。残された奥さんは記者団にこう語った。

「秋野の死を無駄にしないで下さい。たくさんの若者が後に続くように願っています」

これだけでなく外務省は昔から邦人保護をネグレクトしてきている。古くはカリブの棄民と呼ばれる移民政策の対応で数々の問題をひき起こしてきたことが明らかになっている。また2000年のアメリカでの9・11テロの邦人被害者24人の家族に対する外務省の対応も実にひどいものだった。この件についてはまだ詳しく報道されていないので、いずれ書かなければならないと思うが、外務省はアメリカ政府や救援機関からの支援についてきちんと遺族たちに説明をしておらず、亡くなった被害者が勤めていた会社が複雑な手続きの肩代わりや、翻訳、通訳作業を行って被害者家族を救済したのである。そうした会社に所属していなかった被害者家族に対して、外務省はアメリカ政府発行の分厚い書類を郵送しただけで、家族からの説明会を求める連絡に対しても、何の対応もしなかった。その結果、何人かの遺族はいまだ補償金を手にしていないと思われるのである。

また2007年にビルマでのデモの取材中に殺害された長井健司さんに対しても、外務省は遺族からの訴えに耳を貸していない。警察庁は犯人の特定に関してビルマ当局に問い合わせをし、遺留品の返還などを強く求めたものの、肝心の担当当局である外務省は、通り一遍の遺憾の表明をしただけで、真相解明のための実務的党問い合わせ作業や補償交渉などを一切ネグレクトし、長井氏の遺族と会社に対していまだにつらい思いをさせ続けているのである。

9・11の件や長井さんの件では、外務省内部からも、その対応のお粗末さを反省する声が聞こえているが、今後どうするかといった具体的な対応策や、危機管理教育プログラムなどはまだ生まれていない。おそらく省内部できちんとした対応策を提案する勇気を彼らは持ち合わせていないのであろう。従って邦人が誘拐されたり人質になったりした場合に対応するシステムは、今のところ外務省内部には作られていないのである。日本の警察はある程度頼りになるのであるが、海外での事件となれば頼れるのは在外大使館と領事館だけだ。あてにならない外交官たちを前に、私たちはどうすれば良いのだろうか。

■命を救ったのは市民による救援活動だった

さて、人質事件の翌日、私は永田町に出かけて片っ端から各党の議員の部屋を回って歩き、外務省とは別の救援グループを組織するよう頼みこんだ。すでに逢沢一郎氏(当時・外務副大臣)を代表とする政府派遣団がアンマン入りしていた。逢沢代議士は人権意識のしっかりした信頼できる人であるが、同行している外務省の職員たちの今までのことを良く知っていたので、彼らの不注意によって3人の命が危険にさらされることがとても心配だったからである。反応が思わしくなく、だめかと思っていたときに民主党の若手が「われわれは野党なのだから、自衛隊撤退と言ってもいいんじゃないか」と党幹部に造反し始めた。その空気に押されてか、急濾、民主党から藤田幸久国際局長がアンマンに飛ぶことになった。飛行機に乗る寸前に会った私に藤田氏は、
「イラクの連絡先がわかったら出来るだけ教えてください」と言い残したまま飛び立った。

私は電子メールでヨルダンやイラクのNGOと接触し、さらに、今だからこそ名前を出せるのだが、イラクとの中継作業に奔走していたフランスのコリン小林さんに電話をかけながら3人の無事を確認し、アンマンに到着した藤田氏に連絡した。3人を心配したイラク人のグループがすでに拉致グループと接触をしていたことは、拉致された翌日である9日のうちに小林さんのもとに届いていた。同時に日本のNGOのメンバーたちもアラビア語放送局に依頼して、3人がイラク人の敵ではないことを訴えたメッセージをたくさん流し、そのメッセージがどんどんイラクに届いてゆくのが報告されてきた。拉致グループが.3人を丁寧に扱っているという情報も届き、ほっとした。

しかし、イラクのNGOから「拉致グループは明日までに解放する準備をしている」という情報がマスコミに流れた直後、外務省は川口順子外務大臣による「私たちはお金をかけて自衛隊を派遣してイラクのために貢献しています」という放送を流し、イラク人の気持ちを逆なでしたのである。外務省はこの言葉が3人を危険にさらすということを一顧だにしなかったのである。日本政府がイラクの自衛隊を撤退しないのだという強い意思を持っていたとしても、あの時点で「撤退しない」と言う必要はまったくなかったにも関わらずである。

さらに翌日、外務省は、犯人との仲介役を自称する元フセインの警護隊関係者に振り回されるという失態を犯している。私たちはこの男が金目当てで動いているということをすでに知っていたが、犯人を刺激する危険な発言をしている外務省に対して、そのことを伝えるものは誰もいなかった。あの時、外務省は完全に市民から見放されていたのである。

そうこうするうちに、外務省は各国の政府に電話をかけて犯人逮捕を依頼しているだけで、自分たちで拉致グループを探し出して交渉することをしていなかったことも、アメリカを始めとする各国の政府関係者を通じて私たちに伝わってきた。政府は市民団体からはるかに遅れて、アメリカやヨルダン政府に電話をかけて無関係な情報ばかり追いかけていたのである。3人の救援のために拉致グループと交渉したのは、イラクの民衆であり、それをフランスの小林さんが私たちにリレーしてくれたのである。

何もしなかった外務省の実態を知らない小泉内閣のご歴々は、解放された3人を次々に批判し始めた。むしろ邦人保護の仕事をまっとうしなかった外務省に、国税を浪費した責任を取らせるべきなのに、3人を自作自演と非難し、それが通用しないと見るや、自己責任という言葉を言い出し、3人に賠償させろと騒ぎ出す始末だった。海外のメディアがこの騒ぎを見て一斉に「こうしたメンタリティーが生まれることは信じがたい。日本人は邦人保護をしないのか」というコメントをしたことが、今でも恥ずかしい思いとして心に残っている。

先進国たるもの、海外で刑事事件を起こした邦人がいたとしても、その邦人を弁護するなどの保護活動をするのが常識である。ましてや素手のまま誘拐された邦人の解放作業すら出来ない上に、市民の手で救援された人質に罵詈雑言を浴びせたのが当時の政府だった。こういった恥ずかしいことが決して起きないよう、海外で邦人が災難にあった場合に迅速に動けるような官民の協力関係をきちんと作り出さなければならない。
                            
初出 2004年5月『世界は変えられる』(七つ森書館)「あとがき」。10年4月4日加筆。 
posted by 菅原 秀 at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | アジア基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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