2009年11月28日

コッチェビの涙(5)アメリカと北朝鮮

北朝鮮当局による拉致問題、さらに北朝鮮の人権状況を考える上で、日本人の大多数が忘れている事柄があまりにも多すぎる。一番大きな事柄は、「朝鮮戦争はいまだに終結していない」という認識の欠如である。

朝鮮戦争は停戦の合意がなされたものの、終戦のための平和条約締結などはまだなされておらず、戦争状態が続いているのである。38度線をはさんで韓国軍と北朝鮮軍が対峙していることは誰しも知っているが、その背景にある北朝鮮とアメリカとの確執についてしっかり認識している政治家、官僚、学者があまりにも少ない。日朝の対話は小泉訪朝以降まったく行われていないだけでなく、一時は北朝鮮も積極的に参加した6カ国協議もなかなか進展しない状態が続いている。そうした中、なぜ北朝鮮はあいかわらずアメリカだけを引っ張りだすことに躍起になっているのだろうか。

 アメリカの反応を得るために行った大陸弾道弾ミサイルの発射は、ことごとくアメリカ側に無視された。逆に隣国日本を怒らせて経済制裁の強化という副作用を引き起こすだけの結果となった。そんなときに北朝鮮人民軍兵士が、中国と北朝鮮の国境でアメリカのテレビ記者が取材活動をしているのを発見した。
 
アメリカを誘い出す絶好の機会を逃さないために、北朝鮮当局はテレ
ビ記者たちを拘束し、重罰を課して収容することにした。果たして、アメリカは北朝鮮の誘いに乗らざるを得なくなった。


■ クリントンとカーター、ふたりの元大統領の訪朝

クリントン元大統領は北朝鮮当局に拘束されていた米人テレビ記者2人の釈放を求めて09年8月4日、平壌を訪れた。
ミサイル発射という恫喝によって、アメリカとの対話を求め続けた北朝鮮の瀬戸際外交政策を無視し続けたものの、その後、米人記者2人が拘束されてしまったことから、アメリカ側としても腰を上げざるを得なかったのである。

幸いなことにクリントン元大統領は2人の記者の釈放交渉に成功し、特別機で一緒に帰国するという成果を得ることができた。
その裏では、むしろ北朝鮮のほうが、クリントン元大統領を引っ張り出すことに成功したことを喜んでいると思われる。

国営朝鮮中央通信が「対話の方法で問題を解決することで一致した」として、金正日総書記が記者2人の特赦を命じたことを報じ、クリントン氏の訪朝を高く評価していることからも、そのことがわかる。

クリントン元大統領と金正日総書記が並んでいる写真を見て、マッカーサー司令官と昭和天皇の戦争直後の写真を思い出したむきも多いだろうが、私が思い出したのは1994年にカーター元大統領が訪朝した出来事だった。そのとき新聞に載ったのは、カーター大統領と故金日成主席が握手をしている写真だったのだが。

今回のクリントン元大統領の訪朝が、今後の米朝関係にどういった影響をもたらすかを知るためには、1994年のカーター訪朝によって何が起きたかを調べる必要がある。さらに日本の懸案である拉致問題の今後をどうすればよいかということを探る上でも、カーター訪朝の分析は大事である。

国と国とが面子をかけて張り合う中で、欧米諸国が時々採用するのが、元大統領や元首相の手による半官半民の外交活動だ。
こうした形を取れば、公式な外交課題に載せにくい問題にも踏み込むことができるし、相手国もおいそれと無視するわけにはいかず、国家首脳が応対せざるを得ないので、一定の成果を上げることが可能だ。


■問題を引き起こしたのはアメリカだった

1994年のカーター元大統領の訪朝の時は、一定の成果どころか、危機一髪のところまで迫っていた米朝戦争の危機を回避するという大きな成果を上げている。

さて、どんな危機だったのだろうか。

当時は金日成主席が存命していたのだが、読者の皆さんの多くは、「北朝鮮側が、アメリカを挑発し、戦争の脅威を煽ったのではないか」と考えられることと思う。

しかし事実関係を丹念に拾っていけば、戦争の危機を生み出した責任の大半は、アメリカ側にあるということがわかる。もちろん、時とともに変化する国際外交の舞台にはいつも「卵が先か、ニワトリが先か」という論議がつきまとう。北朝鮮にも問題がなかったわけではないが、1994年のカーター訪朝の前に起きた戦争の危機を最初にあおったのは、停止を約束していた韓米合同のチーム・スピリット合同演習を勝手に再開したアメリカ側である。

 実はこのときの危機は、朝鮮戦争の戦後処理に、アメリカがきちんと対応してこなかったツケによるものである。つまり朝鮮戦争の停戦後に再び戦火が起きないための平和協定を結ぶはずだった約束を履行せず、そのまま放置し続けてきたのである。こう話すと驚く人が多いが、朝鮮戦争はまだ終結していないのである。つまり単に停戦状態のままであり、38度線を挟んで北朝鮮軍と韓国軍が対峙せざるを得ない戦争状態が、国際法上、現在も続いているのである。

半世紀以上もこうした状態を無視してきたアメリカに対して、頼るべきソ連も消滅してしまった今、北朝鮮は単独でアメリカと交渉をする道を探るしかなかったのである。

つまり北朝鮮の一連の瀬戸際外交政策をひき起こしてしまった責任の大半が、朝鮮戦争をそのままほったらかしにしていたアメリカの無作為の外交に発しているのである。

さらにその後、1993年から94年にかけて高まった北朝鮮の核開発にまつわる危機は、対米交渉のカードとして核を利用しようとし始めた北朝鮮もさることながら、それに対する大人の対応が出来なかった当時のブッシュ(父)政権によって、ひき起こされたのである。

ただしアメリカの軍事力を背景とした対外外交は大統領や国務省だけによって作られているのではない。省庁、大統領府それに軍参謀本部の横断組織である国家安全会議(NSC)が策定し、大統領や省庁がそれを履行するという仕組みになっている。この国家安全会議というのはアイゼンハワー大統領時代に作られた一種の賢人会議なのだが、ブッシュ(息子)時代にはイラク戦争を遂行するネオコンの司令機関になっている。

軍の暴走を避けるためにはシビリアンコントロールが大事だといわれるが、アメリカの場合は国家安全会議のシビリアンたちが、暴走してきたのである。北朝鮮を挑発するためにチーム・スピリット合同演習再開を決定したのも、このシビリアンたちである。こうしたアメリカの軍事行動の決定過程については次の本に詳しいので参照していただきたい。『アメリカ・力の限界』(アンドリュー・ベイセビッチ著、菅原秀訳、同友館)    
 

■南北の共存を認めた北朝鮮

それでは、カーター元大統領が訪朝する寸前の米朝関係は、どうなっていたのだろうか。

89年のベルリンの壁崩壊と、それに続く91年のソ連崩壊は、北朝鮮の指導者に強い孤立感をもたらしたことは想像にかたくない。その頃の北朝鮮は経済不況に見舞われ、さらに水害などによる農業被害が拡大していた。北朝鮮の指導者たちは、深刻な体制不安に見舞われたことと思われる。

それまでの北朝鮮は、韓国を吸収することによって統一をはかるという気炎を吐いていたのだが、91年になって金日成主席は「穏やかな形態の連邦制」を求めるという「新年の辞」を発表して、今までの方針を大転換したことから、そのことがうかがえる。

発表の直後には、アメリカに特使を派遣し、米軍の韓国駐留を容認するかわりに米朝の交渉を開始したいと申し入れている。さらに同年9月には、電撃的な国連加盟を申請し、南北同時加盟を果たした。
自分たちの主導による統一コリアを主張していた面子をかなぐり捨てた北朝鮮は、翌92年2月には、韓国との間で「南北基本合意書」を策定し、さらに「朝鮮半島非核化共同宣言」を発効させている。

深刻なエネルギー危機に見舞われている北朝鮮にとっては、少ない燃料で効率的に発電する原子力発電所の建設は緊急の課題であった。そこで北朝鮮は核非拡散防止条約(NPT)を批准することで、韓国と協調した核の平和利用を宣言し、朝鮮半島の非核化に踏み切ることにしたのである。北朝鮮の核武装を恐れる韓国にとっても、朝鮮半島の非核化はぜひとも実現したかったので、話はとんとん拍子に進んだのである。

最近の日本には「国際社会と連携して北朝鮮に核武装放棄を迫り、東アジアを非核地域にしよう」という運動が起きている。しかし、すでに92年に、その肝心の北朝鮮が韓国とともに非核化宣言を出していたという事実をしっかりと押さえておく必要がある。つまり92年の「朝鮮半島非核化共同宣言」とその後の変化について北朝鮮当局と話をせずに、「東アジア非核化宣言」などを行えば、北朝鮮との関係は今以上にこじれてしまうからだ。

さて、当時のアメリカは、北朝鮮がここまで譲歩したにも関わらず、これらの提案に取り合わず、「朝鮮半島非核化共同宣言」を額面どおりに認めるということすらせずに、北朝鮮に再び核開発を行わせる結果をもたらしたのである。

こうした中、ブッシュ(父)政権は、北朝鮮は韓国をだまして「非核化宣言」を行う一方で、密かに核兵器の開発をしているのではないかという推測をしていた。

アメリカがそうした疑いを持つようになったのは、北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)の査察をすんなりと受け入れようとしなかったからである。北朝鮮は、駐韓米軍基地の核査察を行うならわれわれもそれに従うという主張をしていた。当時の駐韓米軍司令官はあっさりとOKを出したのだが、面子をつぶされたホワイトハウスが査察を受け入れず、こう着状態が続いた。すったもんだの挙句、北朝鮮は92年になってIAEAの核査察を6度にわたって受け入れることになる。しかし一連の査察の中で今度はIAEAが、北朝鮮がプルトニウムを抽出しているのではないかという疑いを持つようになり、プルトニウム抽出の有無を検証するための特別査察を要求した。北朝鮮はIAEAにはアメリカのバイアスがかかっているとして、特別査察をはねつけたのである。

アメリカはこうした動きを牽制するために軍事圧力を加えることを考え、93年に今まで停止していたチーム・スピリット合同演習を再開した。10万人以上の米韓兵士が参加するこの演習は、ソ連と北朝鮮を威嚇するために70年代から繰り返し行われていたものであるが、ソ連の崩壊を機会に中止されていたのである。
北朝鮮は、この合同演習に激怒し、NPTを脱退するとの宣言を行ったのである。

(続く)    

初出:月刊『公評』09年10月号「北朝鮮への対処術」

posted by 菅原 秀 at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 涙は止まるか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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