2009年05月28日

クメールの涙 司法無視のフン・セン首相

▼カンボジアから届いた今回の事件は、今のところ日本のメディアには報道されていない。小さな裁判事件にしか見えないからかも知れない。しかし、カンボジアの人々は、未だにきちんと司法や立法にアクセスできない状態に置かれているのである。まさにその状態を象徴する出来事として注目すべきである。(菅原秀)

●カンボジアの大虐殺に気づかなかった日本

カンボジアのど真ん中にあるトンレサップ湖は、人々に大量の魚をもたらす恵みの湖だ。はるか遠くのヒマラヤからの水は、いったんこの広大な湖に貯め込まれて魚介類に栄養をもたらし、さらにカンボジアの農地に恵みの水をもたらしながら南下してゆく。しかし雨期になるとメコンの流れは北に向かって逆流し、トンレサップ個を何倍もの大きさに膨れ上がらせ、場合によっては近隣の村々をも飲み込み、田畑を水浸しにしてゆく。

だからカンボジアの農民は「浮き種」というモミを水田に蒔くという農法を古くから行ってきた。トンレサップ湖の魚から作られる魚油と、たっぷりと水につかりながら育ったコメが、カンボジア人の命綱だ。そうしたつつましやかな生活を続けてきたクメール人(カンボジア人)に最大の厄災をもたらしたのがクメール・ルージュ(ポルポト派)だった。

彼らによって虐殺された人々は200万人とも300万人とも言われるが、その実数は未だにわからない。当時、共産主義を標榜したクメール・ルージュ政権の友邦国であったユーゴスラビアのテレビ・クルーが、首都プノンペンの人々の数が異常に少ないことに気づいて、極秘の調査を進めるまでは、大量虐殺は一切外部には伝わらなかった。ユーゴスラビア当局者が秘密裏に調査をし、虐殺が行われていることを国際社会に伝えたが、それが事実と分かるまでには長い時間がかかっている。

日本もご多聞に漏れず、そうした事実を認めたのは欧米の友邦国が事実を確認したずっとあとのことだった。かつてプノンペンに支局を持っていたマスコミ各社も、1975年に一斉に現地から撤退していたにもかかわらず、虐殺の事実をまともに調査しようとはしなかった。

クメール・ルージュ政権崩壊後の1979年には、カンボジア難民が命からがらタイ東部に逃れていき、日本のNGOとマスコミに虐殺の事実を訴え続けたのだが、マスコミはその報道をためらい続け、その後10年間に渡って多くの記者が「カンボジアの大虐殺の噂は嘘だ」といい続けてきたという有様である。

そのカンボジアは国連の介入による選挙を経て、ひどい回り道をしながら民主化を目指してきた。

しかし人民党のフン・セン首相は98年の選挙でその座を手に入れて以来、徹底的に野党を弾圧しながらその政権を維持してきている。フン・セン首相の下で蔓延しているのは国全体の汚職である。役所の手数料の上乗せ請求、学校教師の生徒からの賄賂、医療機関が求める賄賂、さらに極めつけは森林伐採に関する伐採権をめぐる賄賂や、取締官への賄賂などである。

危機感を抱いたアジア開発銀行は2000年にカンボジア政府に対して、森林伐採の全面禁止の勧告を行っている。収入の大部分を海外に依存しているカンボジア政府は渋々その勧告に従い、悪質な伐採業者3社を放逐しさらに、今までの業者にもモラトリアムの規制を行ったようだが、世界各地の環境団体がカンボジアのモラトリアムは機能しておらず、森林は消失する寸前であるという強い警告を出し続けている。

先進各国はこうした状況に危機感を抱き、フン・セン政権に対し、汚職をなくし、民主化を推進するよう強く迫っているが、当のフン・センは耳を貸さない。それどころか国内で汚職撲滅を強く訴え続けるサム・レンシー党の議員たちを集中的に弾圧し、開会中に逮捕することをほのめかして、議員が亡命せざるを得ない状況を作るなど、気ままにふるまっている。

遠く離れた地域で起きている危機に特に鈍感なのが、日本の政府とマスコミである。これから書こうとする出来事も、すでに国際社会が注目し始めているにもかかわらず、日本の政府とマスコミがだんまりを決め込んでいる例だ。


●クメール女性の尊厳を守る戦い

日本にも来日したことのあるカンボジアの元女性大臣ムー・ソクアさんが、フン・セン首相を訴えたのが今回の事の始まりである。

ムー・ソクアさんをローマ字綴りにするとMu Sochua。クメール語では子音が呑み込まれるので、ソッファという風に発音するそうだが、日本ではムー・ソクアさんとして知られている。

ムー・ソクアさんは1954年生まれ。ベトナム戦争の最中、高校を出るとと同時に海外に逃れざるを得なくなり、フランス、イタリア、アメリカで18年間にわたって亡命生活を続けた女性だ。その間、カンボジアにとどまっていた両親の行方は分からなかった。 

ポルポト派の崩壊後、彼女はタイの難民キャンプに向かい、ボランティア活動をしながら両親を探したが、情報を得ることはできなかったようだ。

1989年に新生カンボジアに帰国した彼女は、フンシンペック党のメンバーになると同時に、女性問題と人権問題に真剣に向き合い続け、1998年にはダッタンバン州選出の国会議員に当選、女性・復員軍人省の大臣になる。

その間、カンボジアが直面している女性や子供の人権問題や人身売買問題を積極的に取り上げ、アジア各国のNGOと連携しながら問題の解決に取り組んだ。来日した際も日本政府やNGOとの活発な会議をこなし、カンボジアから日本に売られてくる人身売買のルートを根絶するための最大限の努力をしている。そうした活動は各国から評価され、ヒラリー・クリントンが主催する財団「バイタル・ヴォイス」の国際人権賞を受賞したのを皮切りに、数々の賞を得ており、ノーベル平和賞にも例年のように推薦され続けている。

2004年に大臣の任期を終えたムー・ソクアさんは、野党第1党のサム・レンシー党に移籍し、カンボジアの最大の問題である汚職問題に取り組むようになった。サム・レンシー党は海外からの支援は国民に届くことなく、独裁者として君臨するフン・セン首相の政権維持とのために機能しているに過ぎないと、厳しく啓発し続けてきた。そのグループに彼女も加わったのである。


●発端はフン・セン首相の侮辱発言

サム・レンシー党の汚職追放活動を快く思っていなかったフン・セン首相は09年の4月、明らかにムー・ソクアさんに当てつけた侮辱的な発言を行ったそうである。現地のプノンペン・ポストの報道によればフン・セン首相は、4月上旬カンポット州に出向き、「カンポット州にはチェウン・クラン(強い脚)の女がいる。あえてその女の名前を言う必要もないが、その女は人々を扇動して政府を攻撃することしかしていない。選挙戦の最中にも男に抱きついて、自分にキスをさせるためにブラウスのボタンをはずす始末だ」といった内容の侮辱的な発言を行ったとのことである。

「チェウン・クラン」というのは女性を侮辱する極めて強い言葉だとのこと。この言葉に対し、クメール女性として最大の侮辱を受けたと考えたムー・ソクアさんは4月23日、プノンペン地裁にフン・セン首相を相手取って名誉棄損罪の提訴を行った。請求金額は500リエル。日本円にすれば約12円程度の少額で、フン・セン首相側が謝罪してくれることを求めたものである。

これに対してフン・セン首相は24日、「彼女を名指ししたわけではないので、こうした訴訟は不当である。名誉を傷つけられた」としてムー・ソクアさんとその弁護士のコン・サム・オン氏をされぞれ名誉棄損罪で逆提訴した。ふたりへの請求金額それぞれ100万リエル。日本円で約25万円。公務員の月給が3千円程度のカンボジアでは、かなり大きな金額なので、敗訴した場合はふたりに大きな経済的負担がかかることになるだろう。

フン・セン側が雇った弁護士はキー・テック氏。元弁護士会の会長だ。このキー・テック氏はフン・セン首相の意向を受けて、ムー・ソクアさんが依頼した弁護士コン・サム・オン氏の弁護士の資格を剥奪する動きに出た。フン・セン氏は定員123人のカンボジア国会の圧倒的多数を占めるカンボジア人民党の
党首として、強い権力を保持している。

カンボジアの弁護士協会は、そのフン・セン首相を永久会員として遇しており、元会長の鶴の一声で、コン・サム・オン氏の聴聞作業を開始している。容疑は「政治的意図のもとにカンボジア首相を告訴した」と報道されている。自分が告訴されたことに腹を立てて、弁護士資格を剥奪する動きに出るなどというのは、
司法そのものを否定する行為である。司法の独立をまったく尊重しないフン・セン首相の体質が露呈されたと言えよう。

さらに与党人民党は、ムー・ソクアさんの議員不逮捕特権を剥奪する動議の準備をはかっている。「議員の不逮捕権を剥奪するなんて簡単なことだ」という24日の記者会見でのフン・セン首相の発言は、そうした可能性を示唆するものである。

フン・セン首相は、ムー・ソクアさんが告訴を取り下げれば自分も告訴を取り下げると語っているとのことだが、ムーさんは「フン・セン氏の側から取り下げない限り、取り下げない」としている。しかし弁護士が懲罰委員会にかけられている今、彼女の裁判をあえて引き受ける弁護士はいないであろう。弁護士なしでの法廷を戦わざることになる可能性が大きいのである。

こうした動きを知ったプノンペンのNGO9団体は、政府に弾圧されるという危険を承知で声明文を出した。さらに海外、特にアメリカのラジオ局が一連の動きをフォローしているが、アメリカの「ヴォイス・オブ・アメリカ」からの質問に対して各NGOの代表が次のように語っている。

「女性の尊厳を訴えてささやかな告訴をしてムー・ソクアさんに男らしく謝罪することができないどころか、強圧的な態度で抑えようとするフン・セン氏は、女性が声を出そうとするのを頭ごなしに抑えて、おびえさせている。今、私たちが声を上げなければ、せっかくここまで築き上げてきた女性の声が政治に反映されなくなる」セン・テアリーさん(NGO社会開発センター代表)

「政府も野党も、1992年に女性差別をなくすための条約である「女性に対するあらゆる形態の差別撤廃条約」(CEDAW)を批准して、共に女性差別をなくそうと立ち上がったはずではないか。その精神をないがしろにする不法行為である」プン・チック・ケックさん(NGOリカド代表)

東京在住のメコン・ウォッチャーとして著名なバーナード・クリッシャーさん(元ニューズウィーク東京支局長は日本政府に対して次のように問いかけている。

「他国に干渉しないという原則は、ヒトラーが6百万人のユダヤ人を絶滅キャンプに送り、ポルポトが200万人のカンボジア人を殺害することを許した。今、そうした不干渉主義によって、アウンサン・スーチーの刑務所への収監を許容されようとしており、ムー・ソクアとその弁護士への弾圧が許されそうとしている。隣の家で子供が虐待されているのに何もしないのは人道主義に反する」(カンボジア・デイリー09年5月18日号)

相手国に対して人権侵害をただちに停止するよう明確なメッセージを発することをめったに行わないのが日本政府の外交方針である。しかし、それを知って自国の民主化に手をつけようとしないフン・セン首相のような独裁者をこれ以上甘やかし続けてよいのだろうか。苦しんでいるのは支援する相手国の最下層にいる人々なのである。
                      
posted by 菅原 秀 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | アジア基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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